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ポケモンキッズと旅する 第36回 ヘルガー|岡山県総社市
本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。
第三十六回:岡山県総社市とヘルガーです。
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吉備路 国分寺1.4Kmという標識と、中央に塔が見えます。
その場所、備中国分寺を目指します。
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現在の備中国分寺は、田園風景の中に佇むその五重塔の姿に趣があります。
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田園風景に佇む五重塔が近づくにつれ、少しずつ大きく見えてきます。
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この寺は、奈良時代に聖武天皇の詔により全国に設置された国分寺の一つで、仏教の力を借りて国家の安定を図るという鎮護国家思想を目的としていました。
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以前(3回前の第33回)に訪れた東京都国分寺市の武蔵国分寺と同様の存在と言えます。
東京都や埼玉県はかつて武蔵国だったので武蔵国分寺があるように、岡山県西部はかつて備中国だったので備中国分寺があります。
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ということで、他の地域の国分寺と同様、備中国分寺は奈良時代に創建されました。
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今回ヘルガーを連れて来たのは黒と白を基調とした体色なので、五重塔が合うのでは?というキャラ選定でした。
この写真は連れて来たヘルガーの色と同じ色が全て現地にあります。
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その後、時代の変遷を経て一旦廃寺となりましたが、江戸時代中期に再建され、現在に至ります。
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備中国分寺の立地には興味深い特徴があります。
この寺は吉備高原の南端に近い山裾に建てられており、背後には穏やかな起伏の山々が連なります。
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この場所は、当時の人々が国分寺建立の地を選ぶ際に重視した要素が見られます。
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山の麓という少し高い所に位置することで、水害のリスクなどを抑えつつ、平野部を一望することができます。
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裏を返すと、平野部のどの場所からも塔を見ることができると言えます。
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一方で背後にある山の向こうからは視界が遮られ、寺が秘められた存在だという印象を与える役割も果たしていたことでしょう。
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さらに興味深いのは、備中国分寺の近くに「南国府」「北国府」という地名が残されていることです。
これは、かつてこの地域に備中国の国府(今で言う県庁所在地)が存在したことを示唆しています。
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国分寺と国府が近くにあるこの配置は、東京都国分寺市と府中市の状況とよく似ています。
武蔵国(東京都や埼玉県など)の国分寺・国府と比較するように、備中国(岡山県西部)の国分寺・国府の配置を見てみると、また異なる視点から見えてくる見方もあるでしょう。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。
次回もお楽しみに。