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ポケモンキッズと旅する 第37回 キャタピー|兵庫県朝来市 竹田城跡

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

第三十七回、キャタピーと兵庫県朝来市、竹田城跡です。

竹田城跡は、その姿から「天空の城」と呼ばれ、多くの人々を魅了しています。

標高約354メートルの古城山の頂に位置するこの山城は、雲海に包まれた幻想的な姿で知られています。

竹田城は室町時代末、山名氏によって築かれたとされています。

その後、戦国時代に攻防戦の舞台となり、城の形態も変化を遂げました。

険しい山頂に築かれた竹田城は、その立地を巧みに利用した防御性の高い山城です。

まず、現代の観光客が山登りをする時点で最初の一苦労ですからね(笑)

急峻な斜面と石垣を見た時点で攻める気が進まなくなる要塞といえるでしょう。

建設する側も建設する時点でこれだけ大量の石材を山頂に運び上げたわけですから、防御する時に高い防御力を発揮することで報われているのでしょうか。

山頂からは周囲を一望でき、敵の動きを察知するのに適した場所でもありました。

竹田城が「天空の城」と呼ばれるようになったのは、早朝、山々を覆う雲海の上に浮かぶように見える城跡の姿が、まるで天空に浮かぶ城のように見えることからです。

ひときわ石垣が揃っているこちらは天守台跡でしょうか、こちらに天守閣が建っていたということでしょう。


山城の投稿は今回が初だと思いますので、戦国時代中期から後期にかけての「山城から平城へ」という動きについて説明したいと思います。

竹田城は、その高所という立地から、典型的な山城の特徴を如実に示しています。

竹田城は戦国期の早い段階に築かれています。

※一番最初に説明した通り、戦国時代の始まり(一般的に応仁の乱を起点とする)よりも前の時期、まだ室町時代に竹田城の建設がされていますが、

  • 室町時代に築城後、戦国時代を通じて長期にわたり使用された点

  • 16世紀終盤に現在見られる石垣などの整備が行われたとされている戦国期の改修という点

により、一応戦国期として扱います。

戦国時代が進展するにつれ、城の機能は単なる防衛拠点から、政治や経済の中枢へと変わっていきました。

豊臣氏が築いた頃の城では平地や低い丘陵地に大規模な城郭を構える傾向が顕著になりました。

これらの新しい城は、広範な城下町の統治や、多数の家臣団の居住に適していました。

前々回の松江城の事例(関ヶ原の戦いの功績により新たに出雲国へやってきた堀尾氏は元々は山城である月山富田城に入城したものの、時代的に山城が合わなくなっていたため、平地の丘に新たに松江城を築城した)からも分かるように、

山城は防御面では優れていましたが、日々の生活には不向きだったため、時代が下ると多くの領主たちは山城から平城へ移り住んでいきました。

普段はポケモンキッズを遠近法を用いて大きく見せていますが、遠近法の力を借りずに撮影した場合はこのような写真になります。

竹田城は、このような変化が起きている、典型的な戦国期の山城の推移を今に伝える貴重な遺構といえるでしょう。

下を見ると、文字通り城下町を一望できます。

原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Caterpie in Asago, Hyogo 19 (Takeda Castle Remains)

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。
次回もお楽しみに。