ポケモンキッズと旅する 第43回 ユキメノコ|富山県富山市
本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。
第四十三回、ユキメノコと富山です。
富山市役所の展望塔に立つと、70メートルの高さから富山平野の街並みが一望できます。
眼下に広がる街路は、かつての城下町の面影を今に伝えています。
これがもし晴れた日だったら、遠くに立山連峰の雄大な姿を望むことができました。
ここ富山市役所を含む、富山市役所周辺には広い土地を持つ公園や公共施設などが集まっています。
また、少し離れた場所に大河があります。
これはなぜなのか、探ってみましょう。
先ほどの展望塔から眼下に見えた富山城址公園は、かつての富山藩の中心地でした。
富山藩は、加賀藩の支藩として成立しました。
金沢城を拠点とした加賀藩については前回紹介しております。
2代目加賀藩主・前田利常が隠居する際に、その長男の前田光高に加賀藩主の座を譲るとともに、次男の前田利次に富山藩を、三男の前田利治に大聖寺藩を分家として立てたという経緯があります。
この前田利常が、有名な戦国武将・前田利家との関係が複雑でして…。
前田利常は前田利家の四男として生まれました。
前田利常は、兄・前田利長(前田利家の長男)の養子となりました。
つまり、血縁関係上では前田利常は前田利家の実子(四男)ですが、
家系図上では前田利常は前田利家の2代後にあたります。
前田利家の長男に跡取りはおらず、次男は関ヶ原の戦いで西軍についてしまい、三男は出家していたため、四男に長男の次の家督の座を継がせようとしてこのような形になったとのこと。
赤い太鼓橋が水面に反射している。
和風な風景が合いますね。
今回もまた雪に置いて撮影してみた写真もあります。
ポケモンキッズという指人形を遠近法を用いて大きく見せていないと、実物大としてはこのような大きさです。
さて、富山城はほぼ平地と同じ高さの微高地にある城です。
平地に城を築く場合は、小高い丘に建設すること(平山城)が多いですが、平地とほぼ同じ高さにある城(平城)って珍しいですよね。
これでは高さによる防御面の優位性が発揮できません。
一応、北には松川という小河川があり、これが天然の堀のように見えますが、これだけで防御力は十分なのでしょうか?
実は、かつては川幅が約190mもある大河であった神通川がもっと蛇行しており、これは現在の松川よりもはるかに大きな規模でした。
この蛇行した神通川が富山城のすぐ北側を流れており、これが天然の堀として機能していました。
また、この神通川は重要な水運路でもありました。
のちの時代に、神通川の流路を直線的にする「馳越工事」が行われたことにより、城の北側を流れていた神通川は廃川となり、現在の松川となりました。
神通川の旧河道だった空いた土地は富山市役所などの広い土地を持つ敷地に転用されていきました。
富山城の今の姿からは想像もつかないほどの巨大な天然の堀が、当時はあったということなのですね。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。