ひとりの食事
病気になったとき、退院後の約1年の療養期間をひとり暮らしで過ごしてきた。一番こたえたのは、病気になったことよりも、ひとりで食事をとり続けることだった。
私は、社会に出ていたころ、仕事のキリは決して悪くなかったのにキリが悪いことにして、同僚からのランチの誘いを断るくらいには、
夫に急な飲み会が入って、図らずもひとりの夕食になったときにほっとしてしまうくらいには、
焼肉屋だろうが、居酒屋だろうが、ひとりで入ることが気にならないくらいには、
ひとりの食事を好んでいた方だった。
それなのに、昨日も今日も明日もひとり、朝、昼、夜のご飯もひとり、
それがいつまで続くかもわからない、となったときに、途方もない心細さが襲ってきた。
自分だけのために、自分だけで食事をつくる。
ひとり分の食事をひとりで用意して、ひとりで食べ続けるとき、食事が作業的な、義務的な、エサ的なものになってしまいそうになるのを避けるのはひと苦労だ。
たまたまひとり、久しぶりにひとり、週末だけひとり、お昼ごはんだけひとり、というのとはワケが違う。
それでも、食べることに興味を、気力を失ってしまったら、
何か取り返しのつかないことになるような気がして、食事を抜いたりはしなかった。栄養バランスと彩に気を使い、盛り付けも丁寧にやった。
永遠にひとりの食事は心細いのだけれども、途方にくれるのだけれども、
ひとりの食事をきちんとやれると、他のこともきちんとやれる気もする。
◇
さみしいときは、たいてい夜だ。
昨日も、今日も、明日もひとりで過ごすことになっている人は、夜更かしをしないに越したことはない。不思議なもので、さみしさを感じた夜も、寝て起きると少しは力がわいている。
ごくまれに、朝起きたときから、さみしいときもある。そういうときは、どうしたらよいのだろう。
◇
食事で人間関係をつくる。
距離を深めたい相手を食事に誘う。
趣味が一致しなくても、食の好みが合うと男女はうまくいきやすいかもしれない。仕事の接点もなく、買い物や旅行に一緒に行くようなことはなくても、食事だけをともにしている長い付き合いもある。
◇
たまに、人と一緒にごはんを食べると、そのあとひとりのごはんをとるときに心細さが押し寄せてくる。
ずっとひとりより、誰かと会って、ぬくもりを感じたあとのひとりは、かえってひとりを感じてしまう。
毎日、淡々とひとりごはんを食べるサイクルに戻るまで、慣れていたときに戻るまで、少し時間が必要だ。
凪が少し波立って、また凪に戻る。
戻れたときに、ああ、また戻れた、大丈夫だと安心さえもおぼえるし、それでも、次に人とご飯を食べる時間を、心の奥の奥の方で心待ちにする。
◇
やっと退院したら、そこから先はずっと続くひとりご飯と向き合うことになる人はどれくらいいるのかな。
病院なら、ベッドの上での食事でも、ひとことふたこと看護婦さんと会話があるかもしれない。調子がいいときは、共有スペースで、たまたま居合わせた人と世間話をしながらの食事になるかもしれない。大部屋で気が合う人がいれば、その人とおしゃべりしながらもいいかもしれない。誰ともしゃべらなくても、人がいる気配はしている方がいいのかもしれない。
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