9 桜田門外ノ変

吉田松陰を死刑とした井伊直弼。
大量大虐殺の安政の大獄キャンペーン中の井伊直弼。

更に、南紀派の井伊直弼にとって、敵であり邪魔であった水戸藩に対して、密勅を渡すように言う。この密勅ら自分たちと水戸藩にしかない。だから、それが手に入れば、いかようにもできる。もみ消せる。そんな魂胆であった。

井伊直弼「天皇からの密勅の手紙をこちらに渡しな」

水戸藩「えっ!それだけは勘弁してください。」

井伊直弼「おい!分かってるんだろうな。水戸藩滅亡させるぞ‼︎」

水戸藩「えっ、それだけはご勘弁ください。」

水戸藩で密勅を返そうとするグループとアンチ井伊直弼で返す必要全くないぞ!というグループに分裂。

密勅返そう水戸藩グループ「密勅返して、命と土地だけはなんとかしてもらった方がええやろ。」

密勅返すな水戸藩グループ「密勅返すなんてふざけた話してんじゃねえ!この井伊直弼のタコ野郎が‼︎」

こんな感じ。しかし、この2つのグループは話し合いをしてもしても平行線。決まらない。

怒った密勅返すなグループ「ヤっちゃおうぜ。アイツを。もう限界だ。」

はい。そうです。我慢の限界です。井伊直弼を、今で言う総理大臣を殺す決意をします。こわっ‼︎

加えて、

薩摩の島津斉彬が死亡し、上京し損なった大軍の一部メンバーが結集し、密勅返すなグループに合流し合体。
これで、井伊直弼暗殺ユニット結成✨こわっ‼︎

でも、

島津斉彬の跡を継いだ斉彬の弟と甥っ子が
「ちょいちょい、そんな物騒なことやめーい!薩摩みんなの立場がない。今すぐやめい!」
という一言で、やめた笑

えっ?なんでよ?軽すぎない?と思うんだけど、薩摩の島津様に直々に伝えられたから、感動しちゃったというオチ笑

なので、すぐにユニット解散!笑
ということで、密勅返すな水戸藩グループが実行することとなった。

下準備として、暗殺計画水戸藩グループはほかの水戸藩メンバーに迷惑掛けないように、「退職願い」を出す。(つまり、うちら暗殺するけど、もう水戸藩所属じゃないから、家族含む水戸藩メンバーとは関係ないからね?自己都合で無所属になり、ヤったことだよ?というニュアンスを伝えるための退職願い。)

準備が整った。
来たる1860年3月24日。
雪の舞う江戸城桜田門外。
今で言う東京都千代田区霞ヶ関。
ここで暗殺実行。
大名行列中で周りには人だかり。
そんな中、

グサッ バサッ バン

あっけなく井伊直弼の最後の時となった。

これがいわゆる桜田門外ノ変というヤツ。

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