やりたいこと100個リストを作って気がついたこと
今週は出だしから調子が悪くて、仕事が全然手につかず上司にお願いして1週間お休みをもらっています。本格的ではないけれど、メンタルがやられていて、これ以上頑張ると一旦何かが切れる気がして一休みです。なんとなく自分のメンタル不調の原因は「自分が自分に素直でないこと」なんじゃないかと思い、素直になる方法が分かりそうな本を2冊続けて読みました。
どちらの本にも「やりたいことを100個書いたリストを作る」ということが書かれていたので試してみました。一度は「こんなリスト完成させられない」と諦めかけたけど、作りきれた…!
100個リストアップするための方法
最初はスラスラとやりたいことリストが出てきたのですが、30個くらいで一回手が止まりました。そこから3日間書けてちょっとずつ書き出してみて、なんとか今日100個書ききることができました。思考や感情の蓋、ありました。書き切ったときにふと「2年前にも同じようなリストを作った気がする」と思い、当時のリストを探し出したものの、当時の自分も出だしの25個くらいで止まってしまっていました。そこから一段自分のことを知ることができた感覚があります。今回、考えが詰まってしまったときにやって良かったのは、noteで「夢組叶え組」のハッシュタグで検索して、同じ取り組みをした人たちの記事を読んだことです。自分で勝手に作ってしまった枠や思い込みから抜け出すときに、人の話を聞くことがいい刺激になりました。自分が人の記事を参考にしたので、同じように今後「100個もやりたいこと出てこない…」という人のために記録を残しておきます。
100個リストアップするときに気がついたこと
わたしが無意識のうちに持っていた蓋は
①「やりたいこと」に対する定義を1人で勝手に狭めていた
②実現できそうなこと・実現しても負担でないことしか望んじゃいけない
③今の自分は変えられない
という3つの蓋でした。
①「やりたいこと」に対する定義を1人で勝手に狭めていた。
「やりたいこと」=「夢」
夢は壮大でなければいけない=こんな小さいこと、夢とは言えない
夢は実現できる「コト」=「状態」は夢とはいえない
という思い込みを抱えていた。蓋が取れると「毎年イチジクを食べたい」「キャンピングカーで出かけてみたい」「レシートを溜め込まない」「買いたい本をいつでも買える収入を得ていたい」「毎日8時間寝られる生活をしたい」「一生おいしいものを食べられる身体でいる」「説教しないオトナになる」「未来を明るい気持ちで語れるようになる」という夢が出てきた。たしかに小粒だけど、これを叶えられると私はご機嫌に過ごせると思う。この蓋に気がついたのは、noteで他の人たちが挙げていた夢を見たとき。こんな小さなものを「夢」と言っていいんだ!という驚きがあり、なんで自分は逆に「夢」と言えないんだろう?と考えるきっかけになった。
「夢」という単語について振り返ってみると、幼稚園でお絵描きの時間に「将来の夢を描いてみましょう」というお題で出会ったのが一番最初だったはず。そこから「夢」という単語は、小学校・中高の節目節目(卒業文集とかそういうやつ)で「将来の」という仰々しい単語をつけて出てくることが多かった。そして、その「夢」は大抵「職業選択」と同義だと捉えていた。その思考の枠があったから、今回の「夢」を書き出すのも、キャリアとか経験とかそういうものを当てはめてしまい苦戦してしまった。無意識のうちに、自分の人生を左右しないような日々の楽しみを得ることを「夢」というカテゴリに入れられずにいたけど、気がついたので今回「夢」に入れられた。「状態」も同じ枠で「夢」に入れられていなかったけど、ちゃんと「夢」というラベルをつけてあげられた。叶えたいな!
②実現できそうなこと・実現しても負担でないことしか望んじゃいけない
実現できそうなことしか望んではいけない=「こうなったらいいな」はあっても言えない
実現しても負担ではないことしか望んじゃいけない=実現したとしても背後に面倒が待ち構えていることは望んではいけない
というのが蓋の2つ目だった。
「晴れ女になりたい」「海外に住んでリモートで日本の仕事をしたい」「海が見える家で1週間くらい過ごす」という夢も、そういえばあった。この夢たちは終盤にふっと心に湧いてきて、湧いた3秒後に自分で打ち消してしまっているのを自覚して蓋の存在に気がついた。晴れ女になる、なんて夢が叶うわけない(わたしが1人で出かけると大抵天気が悪い)、海外に住んでもVISAとか税金とか大変そうだしやめたほうが良い、海が見える家は潮風で大変そうだからわざわざそんなところに住まなくて良い。自分のことを思っているような声だけど、この声が自分の夢を摘んでしまっていた。この声は覚えがあるぞ、親とか親族だ。
いつからこの声がわたしの中に住んでいるのかまだ分からないけど、結構昔から住んでいる。今でも思い出せるのは、高校2年生のときに、学校で有志参加のキャンプに行ったときのこと。キャンプ運営を担当していた先生から、「A4用紙1枚で、あなたの考える<リーダーシップ>について説明してください」という宿題が出されていた。今なら「方針を示してみんなが進めるようにすること」とか書いたんだろうけど、当時のわたしは「周りに迷惑をかけないこと」と書いた。たしかにそれはリーダーシップの一要素かもしれないけど、もう少し人に迷惑をかけることを許してもいいんじゃないかな、と当時の自分に言ってあげたい(今も迷惑をかけることを結構恐れている節はあるけど…)。17歳になるまで、いろんなところで「迷惑をかけちゃいけない」という我慢をしてきた。小学校から帰って親が家におらず、でも家の鍵を忘れて出かけてしまっていたとき、近くの友だちを訪ねて家に入れてもらったりすることもできただろうに、迷惑をかけちゃいけないな、と2時間くらいずっと家の玄関の前で座っていたりした。なんとなく体調が悪いな、と思っても親に迷惑をかけちゃいけないな、と思って学校に行き、隣のクラスの先生に保健室に連れて行かれたこともあった。この声、はっきりした根拠はないけど母方の祖母の声で再生されがちなので、そのあたりにまだ思い出せていない何かがありそう。
「夢」も、「叶えたい」というだけ無駄(かもしれない)なことをのぞんだり、叶えた後に面倒が待っているものは「迷惑」という言葉で自分自身を否定していた。今回仕事ができないのも「迷惑をかけたくない」という気持ちで1人で頑張ろうとして空回って調子を崩した気がする。引いてみれば、「空回りしていることを早く言ってよ」という気持ちになるのはわかるけど、それが見えなくなってしまう声なんだ。「迷惑」は全部が全部、ダメなものではないんだよと自分に言い聞かせないと、このあとずっと生きるのが辛くなりそうだ。
③今の自分は変えれらない
今の自分にダメなところがあるけど、それは受け入れないといけない=自分を変えるような夢は掲げてはいけない
という思い込みがあった。100個のリストの最後で「真面目な話をするときに泣かないで伝えられるようになりたい」「身の回りをぐちゃぐちゃにせずに暮らしたい」「自己肯定感を持ちたい」という夢が出てきた。これは「すべての女子はメンヘラである」に出てきた神龍の例えで気づいた夢たち。なんでも3つ叶えてもらえるなら、何か報酬やそれに至るスキルを得ることよりも、それらを得ることができる心の強さがほしい、と考えていることを自覚した。
小さい頃から運動神経が悪くて、モノをよく無くして、言いたいことは泣きながらじゃないと伝えられなくて、そのことがずっと自分の中で「ダメな自分」の代表的な要素だった。28年間、ずっとその性質を抱えて生きてきたので、この先もずっと付き合っていくつもりだったけど、性質を変えられるならそれに越したことはないんじゃないか?と気がついた。叶えられないとしても夢として掲げて良いんだ、「コト」じゃなくても夢と言って良いんだ、という①②の気付きを踏まえて、この夢が出てきたんだと思う。夢が出てきてはじめて、「自分はこれで苦しんでいたんだな、これ叶えられたら自分の人生ステージが変わるな」と心から思えた。
私自身、自分がメンヘラなつもりはなかったけど「真面目な話をするときに泣いてしまう」という性質は客観的に見るとメンヘラなのでは…?自分のデフォルト過ぎて気づいていなかった。別に言いたいことあれば素直に言えば良いところに、それを涙と組み合わせちゃうところにきっと何か潜んでいる。自分をわかりたい。
100個リストアップして分かったこと
100個あげてみた「やりたいこと・夢」をカテゴリにまとめてみるとこんな感じ。
①美味しいものを食べたい
②いろんなところに行きたい
③ストレスフリーに生きたい
④自分を好きになりたい
⑤前向きに生きたい
①②③は前から自覚があったけど、④⑤は我ながら意外だ。今まで思ったよりビクビクしながら生きていたんだな、と思うような「夢」が多かった。
今回他にも分かったことが2つある。
「自分がやりたいこと」「一般的な人がやりたいと思うだろうこと」が混ざっていそう
スイスイさんが著書の中で「このリストを実現したいという気持ち」について書いていたけど、私自身はこのリストを「達成しても良いししなくても良い」くらいの感覚で作り上げてしまった。「今の勢いでやってみてもよいかな」ということと、「これを実現すると自分がハッピーになること」を分ける自分の軸がないからほしい。この軸がないから、何か新しい機会を見つけて「とりあえずやってみるか」という気持ちで引き受け、後から「ちょっと違うんだよな…」と後悔することが割とよくある。自分の欲と人の欲を切り分けたい。
他人トリガーの「やりたいこと」がない
リストを眺めて気づいたけど「人からどう思われたい」という要素がなかった。他人からの評価について考えているのを避けているか、または、自分で自分を満たすことが大切な人っぽい。他人に振り回されない人生と呼ぶべきか、他人を怖がっていると考えるべきか。
まとめ
やりたいことリスト100個書き上げるのは、仕事を休んでしまっている自分に対する罪悪感があっても、「自分を知るために一つのことを成し遂げた」という自信ができて良い取り組みでした。途中から「夢」なのか「やりたいこと」なのか頭がゴチャゴチャになってきたけど、ひとまずやり切ったので自分をヨシヨシする!内省はちょっと途中で息切れしてしまったので、また元気になったり考えが進んだら思うところをまとめても良いかもしれない。この長文をもし最後まで読んでくださった方がいれば、お付き合いいただきありがとうございました。終わり。