見出し画像

初声合わせ・初顔合わせ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
面識のない方とメールだけでやりとりしたあとに、
初めて電話で声を聴いたり、
あるいは電話だけでのやりとりしかない方と初めて顔を合わせたりするとき、ちょっと意外に思うことがある。
文面や声から、勝手に顔や年齢を想像しているから。

きのうは、メールではとても理路整然と書いてこられる男性の方と、電話で話す機会があった。
学生が参加させていただく体験プログラムを主催する関西にある機関のスタッフ。
電話でお問い合わせをさせていただいたときに、声を聴くことになった。

意外!

勝手ながら、同じくらいの年齢かなと思っていたのだけれども、20代後半から30代前半か?
もっとも、わたしこういうの推察するのは得意とは言えない――。
この方、電話では文面ほどシャープではなかった――と言ったら失礼かな。
ただ、礼儀に不足があったわけではないし、途中で咳き込んでいたので、単に体調不良だっただけかもしれない。

でも、あらためておもしろいと感じた。
文章通りの人がいるかと思えば、そうではない人もいるんだということ。

そういえば――以前も航空会社のスタッフの方で、それまではメールでのやりとりしかなかった方と実際に顔を合わせたとき、あ!ちょっと年配の方だったんだ!!と驚いたっけな。
ずっと「にーちゃん」呼ばわりしていたのに、友人が先に顔を合わせてきて、「にーちゃんじゃなかったよ」と報告があり――実際に自分も顔を合わせたら、にーちゃんと呼ぶにはちょっと離れていたことを知った次第。

ただ、この方はメールでのやりとりと実際に会っての話し方などには、ギャップを感じなかったなあ。
単に年齢予想が違っていただけ。
でも、ほんといい声だったんだよねえ。
ああ、なつかしいな……。

あ。
そうそう、そういえば、メールと電話しかやりとりしたことのない他大学の先生と、実際に顔を合わせたときに、これまた「ちょっと意外!」と思ったこともあったっけ。
こちらもすてきな声の男性の先生で、どんなお顔なんだろう?とずっと想像していて――どちらかといえば少しがっちりした渋いお顔立ちだと思っていた。
が、実際にお会いしたら、想像よりは小柄の角ばったお顔だった!

まぁ、だれでも多かれ少なかれそういうことがあるのかも。
文面はカタイのに、会って話すとフランクだということもあるし、
文面はユルイのに、会うと堅物さんだったということもあるし。
そう言うわたし自身も、こういうところで書いている文章と実物の印象は
違うらしいし――ね。

ま。おもしろいってことだ。

(2015年10月23日・Facebookノート投稿)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これはわりと今でもある。

そして、似たようなことで言えば、マスクの有無で印象が変わるということ。
マスクを外したときに「あ・こんな顔だったんだ!」と意外に思った瞬間があった。
マスクなしで会話をしたら、どういう口の動き方をするのか、どんな雰囲気になるのか、想像できなかったから――。

コロナ禍に入職した新人など、ほぼほぼマスクなしの顔を知らなかった。
ふとしたことでマスクを外した顔をちらっと見ることはあっても、記憶にとどめておけなかった。
適切な感染対策を講じれば会食もOKとなって、はじめて一緒に飲みに出かけたときにビビッドに動く鼻から下の顔を知った。
想像と違って鼻の下は案外長かったとか、口は思いのほか小さかったとか、そんなことにちょっとした驚きを感じて、まじまじ顔を見てしまっていた。
そもそも、そうか、こんな顔だったのか、と。

が、しかし、周囲に同感同感と言ってもらうことが少ない。
新人のことも、
「え?そうですか? わりとそのまま、そんな意外とは思わなかったけど」
と不思議がられた。
そうなのか、と逆に驚く。

声だけ・写真だけ・文字だけ・マスクごし、いずれの場合も、勝手に想像力を働かせて、見えない部分を補ってイメージを作っている、それが少し余分に?過分に?豊かすぎるのだろうか。
わたしはマスク時代に出会った人で、マスクなしで会って、びっくりすることのほうが多い。相手はなぜ、わたしのことを認識できるのだろう、と思うくらいだ。

少ない情報でも人の顔を覚える、というのがより苦手になってしまった気がする。
でも、「初声合わせ」「初顔合わせ」ともに、相変わらず新鮮な驚きと楽しみを味わえるということでもあり、自分の中のちょっとした活性化になっている、とも思っている。

いいなと思ったら応援しよう!