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そんなことが続く日

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きょうは行きも帰りも、なんだか怖い運転をするひとたちにばかり
出会ったようだ。

行きは、信号待ちになったときに、ふっとひとつ前にいたハスラーが
追い越しをかけるのが見えた。
追い越し禁止なのに、なぜ?
その先に右折レーンもないし、どういうことだろう?
と思ったら、4台くらい追い越したのち、信号待ちの列の先頭に入り込んだ。

え?それってあり?

ちょっとびっくりしていたが、その先の信号でも同じことをする。
信号待ちでこちらが列をつくっても、対向車線ががらんどうだったから
危ないことにならなかったけれども――
でも、追い越してはするりと一番先頭に入り込むという行為を繰り返す。

思わず呪ってしまいたくなったが、「人を呪わば穴二つ」ということばを
思い出し、クールダウン。

そして帰り。
右折信号の出る交差点での信号待ちで、前の2台がすうっと右折を始める。
つられて前へ出たが、信号を見るとまだ直進の矢印しか出ていない。

まぁ、ここは前は右折信号のない交差点だったし、夜中など
対向車がないなかずっと信号待ちになると、どうにももどかしい気分に
させられるのもわからないでもない。
右折信号ができてからは、無理に突っ込まなくても、少々待てば
確実に曲がれる時間が確保されているとは思うのだけれども。

でも、曲がっちゃっていたんだよね~2台ばかり。
いずれもワンボックスカー。

そのあとお次は同じく右折信号のある交差点で、
もう右折に切り替わっているのに直進するワンボックスカーが!
完全に右折矢印が出ている中で、右折した車の直後に
当然のように直進した。

びっくりした。

交通法規がわかっていないのかもしれない――と善意の想像を
してみたが、どうもそれとは違う気がする。
単純に、みんなルールを守らないだけだろう。


なぜか、こんなことばかり続いたきょう。

もちろん、みんながルール守らないからいい、ということでは絶対ない。
身の安全というのは、ちょっとしたことで崩れる。
一瞬にして危険にさらされる場面に転換する。

もっとも、わたしが模範的な運転者かというと、まったく違うのだけど、
でも――なんていうか、守らないことがかっこいいことのように
思えている風潮は、運転に限らずなんとかならないのかな、
と感じることがある。
「まじめ」がほめことばにならなくなっているのか、あるいは
単に「カッコ悪い」ということなのか。

うーん。。。

というふうに、きょうは「あからさまにルール無視」の車たちと
遭遇したので、ぼんやり考えながら帰ってきた。

たぶん、わたし自身が気を付けなさい、っていう、
純粋なアラートかもしれないね。

気を付けよう。

(2016年8月18日・Facebookノート投稿)
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ああ、あったあった、これ。
思い出して、映像も鮮明によみがえってきた。

信号ひとつぶん、車一台分、先を急いだところでどれだけ得なのだろうか。

これは無茶な追い越しや、隙あらばすぐに車線変更をして先を急ぐ車を見るたび思うことだ。
今も、通勤途上でそういう場面に遭遇することは多い。
もっとも、自身の運転技術の誇示をしている人もいるのかもしれない。

わたしなどは、歳を重ねていくと、自分の運転技術や注意力も(もともと高いほうではないから)不安を覚えるばかりである。
信号無視をしたつもりはなかったのに、結果そうなっていたことがあるから。
なぜか一つ先の青信号を見てしまって進んでしまったり、単純に気づかなかったり――いずれにしても注意散漫だったせいだが、とにもかくにも言い訳しようのない、たしかに自分の責任で。
気づかないでそうしてきたこともあったのではないか、とさらに不安がよぎる。

ずっと気づかなければある意味幸せともいえる。それが元で事故にならなかったことも、幸いだ。しかし、「あっ」と気づいてしまった場合は――時すでに遅しではあるが――もはやだれにも聞こえない「ごめんなさい」を、汗をかきかき繰り返す。
…………。
他にもそういう経験をしている人はいるんだろうか?

いっぽうで、黄信号で止まったり、横断歩道手前で止まったりすると、あからさまにイラついた様子の後続車がいることがある。
急ぎの用を抱えて、言うなれば信号ひとつぶん時間を損した気になるのかもしれない。
なぜだか一瞬、自分が悪いことをしてしまったように、責任を感じることもあるが、交通ルールとしては止まるのは正しいのではないか?
自分も急いでいるときにイライラしてしまうことはあるが、自分が間違いだということくらいはわかっている。

それにしても、追い越し禁止の中央線をまたいで、隙あらば追い越して先へ進む車がいるのを見ながら、あれはありなのか?などと一瞬でも疑問を抱いてしまうのは、なんという麻痺だろう。
自然に流れて動いていく車の列の中で、一瞬「それもありかも」などという錯覚を起こしてしまうのだ。
間違いのはずなのに、あまりに続けて見かける機会があると、自分の知っている常識に自信がなくなるらしい。

そうそう、これは浴衣の合わせが左前になっている女性を立て続けに見たときと似ている。
先日、どこかの花火大会の帰りと思しき浴衣姿のカップル、女性のグループなどと電車でいきあった。
そのうちの半分が、浴衣の合わせが逆だった。
ついつい、最近のトレンドはもはや女性の着方は左前なのか?――と思ってしまった。
そういった、いわば多数決で、自分の常識が少数派に思えると急に常識とは思えなくなるという――。

……などと、どうでもいい連想をさしはさみながら、ますます気を付けて運転しなければ、と思う頻度が高いこの頃である。


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