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高校時代

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わたし宛に往復はがきなんて珍しい。
ひっくり返してみたら、高校の同窓会事務局からだった。

思い出または近況について寄稿を、との依頼だ。
ここで自分が「40回卒業生」だったんだ、と知る。
そんな切りのいい数字だったっけか、と首をかしげつつ、
事務局が管理していることなのでそうなのだろうと思う。

印刷された290程度のマス目に、手書きで送るようになっている。
これそのものに、藁半紙とか輪転機とかいう単語を連想するような、
懐かしさをそそられる。
往復はがきはちゃんと63円のものなのに。

さて、自分には何か書けることがあるのだろうか、
思い出をつづるならもっとふさわしい人がいるだろうに。

でも、無作為に選び、宛名を手書きにしてくださった方に、
その返信用はがきいっぱいに作られたマスに「書けません」
なんて返事を送るのも失礼だから、何かないかなと
あてどなく記憶をたどる。
近況でもいいのだろうけど、同窓会誌ならやっぱり
高校時代のなにかを感じるもののほうがいいんじゃないのか、
と思って。


わたしは中3の11月に東京に引っ越した。
時期的なこと、人見知りなこともあって転校はいやだったので、
わたしは卒業まで引き続き神奈川の公立中学校へ通わせてもらう
ことにした。

都立高校は結局歩いてでも通えるという理由で、家から一番近い
高校を受験することにした。
学区制なので当然友達などおらず、ひとり越境受験のような
状況だった。

出願書類提出日の光景がよぎる。
校門を入ると、部活のランニングの一群の先輩たちが、
「受験すんの~?がんばってね~」と声をかけてきたのだった。
今思い返すと、漫画みたいだ。

いろいろと断片的な映像が浮かんでは消え浮かんでは消える。

ひとより充実していた高校生活だとか、
これぞ青春!だったとかいうわけではないが、
出会ったのはいい人たち・ユニークな人たちが多かったし、
勉強も楽しかった。
定時制も同居していたこともあって、なんだか不可思議な空気感もあり。

古びた校舎や特徴ある先生方、友人たちからは、
それなりにインスピレーションが与えられ、
事実を基にしたフィクションを短編として量産していたことを思い出す。
(昭和風に言えば言えばショートショート?)
買ってもらったばかりの――ブラザー社のまさにタイプライター式の!
ワープロで。
メモリ(フロッピーディスク)機能がないものだったので、
ほんとうに瞬間の産物だったけど、他愛もない高校生活風景(これも
昭和風に言えばハイスクールライフ?)の一部を、シリーズ化したり
したり。

そのときの感覚がよみがえる。
わたしにも「10代」という時期があったのだ。
当時の感受性を、ムダなくらいそういうことに費やしたのもまた、
いわゆる青春なのかも。

……なんてことがつらつら思い出され、まぁ、何か書いてみようかな
と思うようになった。
思い出すことで、また別のインスピレーションが沸いてくるのも、
面白い。

いろんなことを忘れてしまって――特に人の顔と名前とか一致しない
失礼な人間――思い出を語るなんておこがましい。
が、しかし。
どの断片をつづるかは決めていないけど、ぽろっと下書きしてみよう。
それから、国語の提出物の書式みたいなマス目に、ちゃんと手書きで
清書してみて返送しよう。

締切は8月末――。

あ。

なんだか「高校時代」というテーマの、夏休みの宿題みたいだ。

(2021年8月14日・Facebook投稿)
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3年前だったんだ、これ。
おもしろかったな~、国語の課題みたいで。

出身校は定時制もあったので、それにまつわる思い出話を原稿にして提出したのだった。

部活は17時20分ころまで、と決められていたと思う。下校時間ギリギリに門を出ると、すれ違って学校に入っていく人が定時制の生徒なのかな?なんて思っていた。
全日制も制服がなかったので(標準服というのがあったらしいが、だれも着ていなかった)、まぎれていてもわからなかったのでは――と思うが、当時はそれなりに年長者の生徒が多かった。

そういえば、定時制の生徒のためには食堂が運営されていて、ひそかなあこがれもあったっけ。
そういうこともあって、定時制にはなんとなく「大人の学校」というイメージがあった。
働きながら学ぶ大人のための学校。

教室のいくつかは共同利用だったために、机の中には何も入れっぱなしにしておいてはいけなかった。
たまに定時制の生徒の忘れ物とおぼしきプリントがあったりもして、なるほどね、と思ったこともある。
それがきっかけで、一時期机を介した交換日記のようなやりとりをしたことがあった。
お互いペンネームで。

はじめは机の上に鉛筆でちいさくメッセージを残したところから。
落書きみたいなつぶやきの交換から(書く位置を決めて)、そのうちちいさな手紙を交換したり。
たいした内容ではなかったと思う。ただ、お互いに、ちょっと日常の中でのささやかなドラマティックを楽しんでいたのだ。
当時流行っていたライトノベルみたいな?

それから、定時制の職員室は別にあったことを思い出す。同じ学校の中に2つの組織があるという状況に、なぜだか面白さを覚えたものだった。
体育館や特別教室などは当然共有だけれども、職員室は違うんだ、と。
全日制と掛け持ちの先生がいたのかどうかわからない。
まぁ、よくよく考えれば全日制と定時制両方で一日働いていたらオーバーワークだから、いなかったんだろう。
たとえば、当時もシフト制なんてものがあったなら、兼務の先生がいたのかもしれない。いたような気もするけれど、記憶はあいまいだ。
あれこれ当時感じたおかげで、定時制の教員になることに少しばかり興味を持ったこともある。結局は教員にはならなかった(なれなかった)けど。

ハイスクールライフ、というカタカナ表現はちっとも自分には当てはまらない。建て替えられたきれいな校舎で過ごす今の高校生たちは、その単語で振り返ってもよいかもしれないけれど、わたしには”高校時代”という漢字表記がしっくりくる。
当時のくすんで古びた校舎の壁の色、薄暗い廊下、それでも休み時間になると廊下に響くぎやかな声……。
とてもノスタルジックな雰囲気で思い出される。
そしてそのことが気に入っている。

取り立ててドラマティックな3年間だったわけではない。誰かに比して、なにか比して、特別なことがあったわけではなかった。
自分としてはごくふつう、ごく当たり前に、自分らしく過ごせた3年間だったと思う。

「当時の感受性」。

なんとみずみずしい響きだろう。

あの当時に空想したり、それを表現したりしたものは、気恥ずかしさもありながら、それでもとてもさわやかな勢いがあった。
それはもう二度と手に入れることができないものだけれども、こうして思い出せることで、なにごとかを感じることができる。

物語のかけらとしていまだ頭の片隅に残っているものなど、どこかで形にしなおせないかと考えてしまうこともある。おそらく再構築する感性など、もう残されていないだろうに。
ちいさく未熟なアイディアながらも、きれいなガラスのきらめきを残しているように見えるために、捨てきれずにいる。
無理に捨てなくてもいいかな、と思うようになった。歳を重ねていったら、必然的に忘却の彼方にいってしまうかもしれない。

それでいいかな。
今はまだ、そういう高校時代の断片を、まぶしさをもって思い出せることが、ただただうれしいから。


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