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今秋のだるまさん(2018年)

(2018.11.22Facebookに投稿したものを再掲載)
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笹屋伊織さんの「だるまさん」。

2年前の夏。
初めて笹屋伊織の女将さんであるみゆきさんから
だるまさんのもつエピソードのいくつかを伺ったときの
心のふるえは、今でも新鮮によみがえってきます。

あれ以来、わたしにとっても特別なお菓子。


箱に入っている栞で、「だるまさん」の不思議な力を
知ることができるけれども、当時はそれと知らず――
京都でしか買えないというこの素敵なお菓子と、
直接店先で出会うことを楽しみにしながら、
だるまさんの気持ちを描いたえほんを作りました。

まさしく“なにかが下りてきた” 状態で、
「待ってくれているだるまさん」を描きたいと思ったのです。

実は、そのときは、まだだるまさんを口にしたことが
なかったので、インターネットで見つけた画像をもとに
描いたのでしたが。

その後、特別にみゆきさんとともに
そのときだけ東京にやってきただるまさんを手に入れ、
たいせつにいただきました。

あこがれのだるまさん、ひとつ。

もなかの皮の香りはふんわり、
あんこのやさしい甘さにほっくりした栗の味わいが、
かろやかに喉の奥を通っていきました。

このときは、ひとつ――ひとつだけ、いただいたのです。
ふたつ、みっつ、ひとりでよくばって食べたら
いけないような気がして。
「もう食ったやないか」と笑われそうな気がして。

――というわけで、そのほかは、家族と知り合いに
少しだけお福分けさせていただきました。

ふとした折に、おなかに栗を抱えたあのだるまさんが
恋しくなります。
秋を思うととくに。

東京のお店では入手できないだるまさん。
今秋も京都へは行けなかったなあ、と思っていたところ、
なんとこのたび特別に、公式ホームページリニューアル記念で、
オンラインショップで限定取扱いがあると知り、即座に購入!

ふたたびお顔を合わせることのできる、しあわせ。

勝手ながら、だるまさんのもつ不思議な力、存在感を
ぜひ知ってほしい、一緒に味わってほしい方々のためにも、
いくつか用意しました。

だるまさん自身はまったく押し付けがましくないのですが、
わたしは押し付けがましくお贈りしたというわけです。

それでも、みなさん一様に、だるまさんを作る笹屋伊織さんの思いを、
だるまさんの愛らしい心映えを受け止めてくださっていて、
おいしく召し上がっていただけました。
そんな様子を見て、「そうでしょう、そうでしょう」と一人勝手に
誇らしく思うわたしでした。

今秋のだるまさん、 ころ・ころ・ころりと
いろんなみなさんのおなかに転がっていってくれました。

そして――ふと。
自宅療養中の方のことを思い出しました。
おいしいものを分かち合えるおひとりでしたので、
やはり口にしていただきたいと思いました。

必ず待っていてくれるだるまさん。
同じようにわたしも待っているよ――。

――そんな思いを込めて。

だるまさんのほか、パッケージがユーモラスな
「おきあがりこぼし」(これもだるま柄)のおまんじゅうもいっしょに
お取り寄せしました。
それから、みゆきさんにお贈りしたえほんの画像を、
組み合わせてPDFにしてプリントアウトしたものも。
「ちいさな箱のお菓子をあけてから開いてください」と
書いた封筒に入れておきました。

どうしてもなんだか押し付けがましくなってしまいますね。
これでも、少しはためらう気持ちが浮かんではくるのですが、
それでもお届けしたい身勝手な思いが勝ってしまいます。

でも数日後、彼女からメールが届きました。

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だるまさんの絵本も和菓子も両方楽しませていただきました。

美味しい最中とお饅頭でした。薬の影響でしょうか、
なかなか食事がすすまない日を過ごしておりましたが、
久しぶりに「美味しかった!」とうれしくなりました。
絵本のだるまさんが、「ほうれ、食うてみ」と言ってくれていたので、
おなかにかかえたごほうびのこがねも遠慮なく堪能いたしました。
おいしく食べられたことが、とてもうれしかった!です。


単調な毎日にうれしい贈り物でした。
ありがとうございます。

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ああ、よかった!
召し上がれたんだ、よかった!
喜んでいただけた!

だるまさんに託した思いが通じたような気がしました。

社交辞令かもしれない……なんてことは露ほども思わず、
単純に、ただただ単純にうれしかったです。

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早く元気になって戻ることができればと願っています。
待っててくださいね。

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このむすびを読んで、
そりゃあ、もう、心から――――つい。

「待っとるよ」

あの夏の日、だるまさんのエピソードを聞いて以来、
ずっとずっと変わらないのです。
今秋のだるまさんも、変わらずに静かに、
だれかを待っていてくれる存在の象徴でした。

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ここに登場するかたは、このあと年明け2月に一度、出勤されました。でもそれから3月、天にお見送りすることになりました。

最初にその知らせを聞いたときには、ただただ呆然。
不思議と涙は出ず、とりとめなく最後の出勤日の帰りの挨拶のことだけが思い返されました。

ふわふわの帽子をかぶった、いつもどおりのほっそりした立ち姿、やさしいたたずまい。
すこし灯りを落とした事務室のカウンター越しに、やさしい笑顔で「さよなら」をかわした日。
あれが、最後のご挨拶だった、と。

それからしばらくして、「ああ、そうだ」と、だるまさんを送ったときのことを思い出し、瞬間あたたかな気持ちをよみがえらせてから、あらためて寂しさを覚えたのでした。

今またこの無邪気な投稿を読み返して、追体験したところ――
ですが、思い出の連鎖の一つとして、いつまで心にとめていられるものなのでしょうか。
わたしの能力としては不確かです。
ただ、それでも、誰の目に触れずとも、誰にとっても価値がなくとも、ここに記録として残しておけることは、わたしにとっては静かに喜びと感謝なのです。
そのかたの、静かでやさしいたたずまいを思い返すことができるという意味でも。

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