「普遍」のリンク
銀座「四宝堂」文房具店シリーズ第2弾を読みはじめ、帰宅中の電車の中で「名刺」というエピソードを読み終えたところ。
このシリーズではいつも「働く」ことのヒントをいいただく。ちょっとした心がけ、ビジネスマナー、スタッフに対する目配り……そういったものがそれぞれの人生に影響を与える、あるいは、個性を表すものとして描かれている。
「働くこと」の大切さ――いや、「大切に働くこと」に向き合える、人とかかわれるようになる、ちょっとした行動の癖も含めて。
それは、どれもあたりまえのことのように思えるのだけれども、その実「しつづける」ことが案外できないことであったりもする。
どのエピソードも物語としてのおもしろさだけでなく、そういった「働くための心映えと姿勢」について教えられ、心にとどめておきたくなるシリーズだ。
今回は読んでいる間に、ふっと2020年1月末に閉じた「ホテルショコラ函館」の思い出が過ぎった。「名刺」の物語の舞台はホテルではないのだけれども。
話は主人公が定年を迎えるところから始まる。
彼は高卒で「総務」に配置される。大卒の同期との待遇格差も描かれるなか、それは決して陰湿な訴えや重たさを感じるものではない。毎朝の掃除の話(これはモスバーガーのことも思い出した)や、会長の社員を育てる思い、語られるメッセージは今の自分にも通じる大切なこと。
このささやかな伏線は静かに流れつづけて、彼が帰路につく途上、「四宝堂」に自然に誘われてあたたかい記念すべき一場面を迎えることにつながる。
この流れそのものが、ショコラの思い出とリンクしたのだ。
大切ななにかを共有できている気がする。
「働くこと」を軸に、普遍的な大切なものがあることを感じているから――見聞きし、経験させてもらえたこと一つひとつに、静かな喜びがたしかにあったことを思い出したから。
まさにこの構図が、リンクしているのだと一人勝手に盛り上がる。「四宝堂」という架空の文房具店で描かれる、気持ちよく、よりよく”働くこと”、ゆたかな心で結びつく”人とのかかわり”が、決して絵空事ではないのだということを伝えたくなる。
「名刺」を読んだことで、得難く大切な思い出が呼び起こされ、なにかをせずにはいられなくなった。
想起された”得難く大切な思い出”とは、2020年につづったショコラでの最後の二日間。
そうだ。
ここにその記録を残して参照できるようにしておきたい、と思いつく。
これは当時Facebookのノートに記録していて、しかもとてもクローズドな状態で置いていた。さらに言えば、その後Facebookでのノート機能サービスが終わってしまったので、保存はしたものの自分でも検索しないとすぐには確認できないありさまである。
noteに転載するのは、自身がわかりやすいと思う場所に置いておきたい、という整理整頓のできない人間にありがちな発想でもある。自己満足・自己完結のために、ここに記録を残しておきたいというか。
読んでもらいたいから公開する、というのと少し違う気が……とも思うけれども、やはりだれかに読んでもらって、いくらかの共感が得られたらいいなという思いが心のどこか、底の底にあるのもたしか。
「善良」を感じるものは、この世のそこかしこにまだまだたくさんある。それこそ普遍である。
それを伝えたい、という思いも大きい。
殺伐とした日常を感じているあいだは、自分の周りではなかなか見いだせない――物語の中にはたやすく存在するのに。
でも、実はきちんと存在している。
だれの周りにもほんとうはあるはずだけれども、目をとめられるかどうかだ。気づかずに終わってしまうこともあるだろうし、そもそもその出来事を「よいものとみなすほどではない」とやり過ごすこともあるだろう。
今回、「名刺」のエピソードを読んで味わった気持ちを、あの二日間の思い出とあわせて公開することで、絵空事でない現実がある、自分の働き方次第で善良な出来事に遭遇できるチャンスはたくさんあるはずだ、と言いたいのだ。
この感覚がどのように伝わるかわからない。
「わたし」を知らないひとにとっては、さっぱりわけのわわからないものになるかもしれない。
それでも。
それでも。
「善良なる瞬間」を、そして「素晴らしい一歩へ」踏み出すチャンスがつねにあることを知っている者のひとりとして、ここに記録しておくことを試みてみる。
一冊の本、ひとつのエピソード――よき本に出会えた喜び。そして、それを通じて突き動かされたという、自分のための記録の意味だけででも。
≪ホテルショコラ函館 最後の二日間:思い出記録≫