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通勤点描~2017年12月1日

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毎朝走っている道沿いに、雑貨屋というのか、
歴史のありそうなたたずまいのお店屋さんがある。
引き戸には、おそらくもう売ってはいないだろう
「かしパン」という、手書きの貼り紙もある。

そこのおばちゃんが店の前の歩道の掃除をしているのを、
ときどき見かけている。
掃きそうじのあと、必ず店の前のポストの拭きそうじもしている。
おばちゃんは小柄なので、思い切り腕を伸ばさないと、
ポストのてっぺんの車道側には届かない。
いつも差し出し口に身体をくっつけて、半身を預けながら、
拭いている。
どうということはないのだけれども、なんとなくあたたかく、
ほほえましい。

きょうは珍しく店の引き戸が開いていて、中が見えた。
雑多に商品の空き箱的なものが積んであったりするんだろうな、
という期待は裏切られなかった。
たしかに、ショーケースはもはや物入れになっているような
雰囲気だったし、店内の雑然とした様子も伺えた。

ただ、一点目を引くものがあった。
奥の壁の高いところに、ウクレレがかかっている。

ウクレレ。

なつかしいなあ。
昔うちにもなぜかあったし、なんだかそういうことあるよね、
昭和の時代って――と思いながらも、あのおばちゃんと
ウクレレが結びつきにくくて、妙に気になる。
いや、旦那さんがやっていたのかも。

と、その奥、住居に続く間口にかかっている、場違いに
カラフルなのれん、というかバナーが目に入った。
ちょっとだけハワイ風のポップな字体でukuleleと見えた。
ちょうど車を発進させなければならなかったため、
ピンクやきいろ、ブルーに彩られたアルファベットでつくられた
その単語だけしか見えず、他に何が書かれていたのか、
全貌は判別できなかった。

ウクレレ教室の案内?
なにかのコンクール記念のバナー?
おばちゃんが教室の先生とか?
それとも旦那さんが?
待てよ、もういい歳の子どもがハワイ在住のウクレレ奏者とか?

気になる……。

来週の通勤のときに、またあらためて注目してみよう。

(2017年12月1日・Facebookノート投稿)
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おばちゃん、というよりは、おばあちゃん、が正しい。
その当時も。

この投稿のあとは、息子さんと思しき人が出入りするのを何度か見かける。
自転車が置かれていて、住居兼店舗ではなかったのか、それとも息子さんは別のところに住んでいるのか、などと想像をめぐらす。

そうして、そのうちにこのお店は完全閉店となった。シャッターのポストには養生テープが貼られ、さりげなく貼られていた”広告”もなくなった。
今なお、屋号だけは掲げられて残っているけれども、シャッターは下りたまま。
もしやおばちゃんは亡くなってしまったから閉店にしたのか?と想像を働かせてしまったが、そうではなかった。
しばらくは、おばちゃんが歩道の掃き掃除とポスト拭きをしているのを、数回は見かけたので。

とはいえ、これももう7年前の投稿だ。
おばちゃんをお見かけすることもなくなった。
通勤路は変わっていない。
あれから変わったのは自分の通勤車と、街並みだ。

人の気配を感じないその店舗跡を通るたび、もうこの裏にはだれもいないのだろうか、と考える。
当然ながらまったくの他人なので、その生き死にを知る縁も術もない。それなのに、知り合いでも何でもないくせに、余計なお世話でつい、お元気なのだろうか、どうしているのだろう、などと考えてしまう。
ついでに東野圭吾の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』など連想してみたりするのも、ここが公立中学校に近い(子どもたちが通うことも多かった時代があったのではと想像させられる)雑貨屋さんだったからだ。

自分の通勤経路が変わらないあまりに――もう14年くらい――こうして年月が過ぎていくこと自体にも慣れてしまって、無頓着になる部分があるのだな、と思う。
年齢を重ねていく人間としての変化は生じている。
自分がそうであるように、おばちゃんも。

もう少し丁寧に通勤路のなんてことのない、よしなしごとを記録しておけばよかったかな、と思うこともある。
街並みの変化に無頓着すぎて、ふと気づいたときに「あれ、ここは?」となる。「失う・失われること」を意識する。

今日もまたシャッターの下りたままのその店を通って、そんなことを考えてしまったので、思い出投稿で再掲してみた。
ただただ自分の記憶、なんということのない記憶の記録のために。

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