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「逃げない覚悟」

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今週はなんとも低空飛行で、今日は極めつけ・・・
ずっと勇気とか度胸、賢さとか知恵がほしいと願っていたが、
頭が破裂しそうな混乱のみが与えられた。

うーん、どうやらまだ高望みだったらしい。

人を信頼したいという素朴な願いが裏切られたような思いと、
それはそもそもそんなお人よしな自分がダメなんだという思いを
自分勝手に感じて落ち込むという悪循環――。

それにしても、人と人とが信頼関係を築けるようになるのには、
時間がかかることだよね。
一度失った信頼を取り戻すのには、もっともっと、倍以上かかる。

けど、ほんとうに「いま・ここで」(この環境で)、自分たちで
なにかよいものをつくろうと、目指そうとするのなら、
もう一度お互いまっさらになってみようと、あえてそういうメッセージを
発信していく必要もあるんじゃないかな?なんて思ったりして。

もちろん、そんなのきれいごとで、まっすぐすぎてダメなんだろう。
実際には水に流すということが難しいのもわかる。
先入観なしに一からやり直すことが難しいのもわかる。

けれども、それでも、ほんとうになにかをつくりあげたいのなら、
一瞬そういう過去を飲み込んでみよう、って言ってもいいんじゃないか。

……でも、そんなのよっぽど単純でないとできない。
なんとも子どもっぽい解決方法だから、だめなんだろうな……。
それに言う人にもよる、というときがあるしな……。

などと、自分の弱さ・足らなさ加減を痛感した一日の終わりに、
同僚のことばに励まされた。

 「わたしたちには、
野党が持っていない”逃げない覚悟”があるから大丈夫」
 (語順はこうじゃなかったけど)

たしかに。
他人にはなんのことやらわからないだろうけど、たしかにそうなのだった。

今週落ち込んだ理由はいくつかあるのだけれども、その中の一つは、
このことばに励まされたおかげで、なんとか乗り越えて
もう少し踏ん張れそう。 

ありがとう! 

そうそう――”逃げない覚悟”。 わたしはこのことばが好き。 

20代の頃はツケがまわってくることを覚悟したうえで逃避してきたので、
ツケを払う覚悟はいつでもある。

ただ、今はもう、この先あらためてツケがまわってくるのはしんどいから、
タイムリーに”逃げない覚悟”を決めている。

なんでも、いつでも覚悟。

というわけで、気を取り直して、がんばろうと思う。
自分からはまだ何もしていないし、始めていないから。
まだまだこれからだね。

(2014年6月26日Facebookノート投稿)
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10年前のこの日の周辺にいろいろあったんだな、きっと。
思い出せないけれど、仕事で気持ちが圧迫されたことには違いないはずだ。
当時中間管理職として処理しなければならない、けど、「いやだなぁ、できれば向き合いたくないなぁ」という何かのお鉢が回ってきたのに違いない。

そんなときに同僚がかけてくれた励ましに感謝をしているわけだけれど、ふと疑問。
そのことばの中にある「野党」のウラはつまり、自分たちが「与党」ということになる。決して「与党」という立場だったわけでもないのに、なぜそういう表現になったのか、思い出せない。

ただ、”逃げない覚悟”という言葉に覚えた共感の中には、自分が卑怯者にはならないという意識は感じる。
が、しかし、そんな自分にまだ青さを感じるのであった。

”気を取り直してがんばる”、という意気込み?決意?は、自分に言い聞かせる癖で今もあまり変わらず口にしている気がするのに。
同じ言葉でありながら、なぜか青さを感じる。
やたらに覚悟覚悟と言い聞かせているからだろうか。
自分が背中を丸めて決意しているかのような姿が浮かんで、妙にほほ笑ましい気持ちになってしまった。

10年ひと昔とはよく言ったもの。
成長という点での自己評価はつねに低いけれど、自分を振り返ってほほ笑ましく思うなんてことがあるなんて。

さてこれは、今日までのあいだそれなりの経験を経て、「覚悟」を繰り返すだけの精神論から少しは成長した証しと受け止めていいだろうか?

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