旧ツイッターで話題になっている車いすの方の投稿、その反応、意見やらを読んで思ったこと。

新型コロナでぶっ倒れてた数日間。布団に潜りながらやれることと言えばネットサーフィンくらいなもの。目に飛び込んできたのは、旧ツイッターで投稿された車いすユーザーの方のポスト。
ポストを最初に読んだ時には、映画館側の意見について納得したし、自分の業務+αで善意で行っていた行為だろうから継続が難しいと丁寧に話す姿勢に共感した。事前に連絡して可能かどうか聞いたり、当日介助者と一緒に映画を観に行ったりすることで回避できることならそうすればいいと。しかし、時間が経つにつれて「本当にそうか?」と疑問が湧いてきた。
私は今まで、予定もなく街をぶらぶらしていた時に、予定になかったけど映画でも見るかとふらっと映画館により、好きなシートに腰掛け、いい時間を過ごす。これを、当たり前にやれる。じゃあなぜ、車いすの人はそれが当たり前にやれないのか?この違和感。なんで車いすの人だけ事前に連絡して、介助者にお願いして、映画を観に行かなくてはならないのだ。ふらっといって、ふらっと観るが自然にできたらいい。
できない理由が「だって車いすだから」って、おかしくないかなあ。これは、それを実現しない従業員が悪い!とか、対応してない映画館が悪い!とかでは決してなく、きっと今の社会のあり方の問題。これからもっと、誰もが自然に気が向くように生活できるようになる、そんな社会を作っていかないといけない。そんなふうに感じた。
うまく言語化しきれないところがあるけど、これは決して個人の問題じゃない。「障碍者は優先されるべきだ!」とかいうわけでもなく。みんながフラットでふらっと自然に過ごせる社会になるといいなあ。人権についても、もっと学ばないとなあ。

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