発達について 講義メモまとめ
発達のとらえ方
・完態を前提とする発達観(旧来の発達観)
・人間の発達に「完成形」を想定する
・完態に至る過程が「発達」で、それ以降は「退行・衰退・下降」の過程としてとらえる(研究対象がほとんど青年期までであった。)
・生涯発達を前提とする発達観(新しい発達観)
・人間の発達過程に「特殊な時間」としての特定の発達段階を想定しない。
・年齢が上がってくるにつれての「退行・衰退・下降」としてでなく、「適応能力の質的変化」としてとらえる。
旧来の発達観では、少しの問題が致命傷であり、修復不可という極端な考え方もできてしまう。
人間におけるインプリンティングがあるのではないか??⇒言語獲得(臨界期)がそうでないか⇒そうでもないらしい
生涯発達論は時代と共に心理学論と共に変化していく
発達は時系列に沿った過程であり、現実に観察できるのは発達と状況の関数としての行動である。
発達障がいという用語
・1963年にアメリカで法律用語として登場。
・もともと知的障害をモデルとする概念
・現在では、知的障害を含めた包括的な概念で、生得的運動障害(脳性麻痺など)、自閉症スペクトラム、ADHD、LD、てんかん、発達性の言語・運動の障害も含む。
・発達障碍者支援法:自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、ADHD、その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発言するものとして発現するものとして法令で定めるもの
発達のばらつきと適応障害
発達のばらつき、得意不得意、好き嫌い・・・それは誰にでもある⇒しかし、その中には「個性」としてくくって済ませるにはリスクが高すぎる人たちがいる。
適応行動の心理学的モデル
欲求⇒問題場面⇒仮説⇒検証⇒YES⇒問題解決⇒欲求解消
⇒NO⇒仮説⇒検証のループ(フィードバック機能)
リスクある生き方としての発達障害
前回の内容と今回の目的
・前回は発達という概念の変遷について説明
・次に、発達障害という状態像をおおまかにイメージするためのメタファーを2つ紹介
・そして、発達を評価する鍵概念としての「適応」について、心理学的モデルを説明
障害観の変遷~知的障害を例として~
・「種々の原因により精神発達が恒久的に遅滞し、このため知的能力が劣り、自己の身辺の事がらの処理および社会生活への適応が著しく困難なもの」(1953年文部事務次官通達「教育上特別な取扱いを要する児童生徒の判別基準(試案)」
・原因⇒症状⇒療法があり、上記はこれを意識して作られたのでは??
・日本の行政の考え方では、「「一時的」障害」を含まない
・「知的機能(知能)が平均より2標準偏差以上低いこと、同時に、適応行動の3領域の少なくとも1つの領域の得点、または、すべての領域の総合得点が平均より2標準偏差以上低いこと」(2002年、アメリカ精神遅滞学会AAMR-10)
・上記は数値至上主義であり、原因を考えていない。また、日本の行政の考え方に大きな影響を与えている
・障がい者をいかに社会に適応させるかが焦点になってきているが、適応は「変動」するため対応に困難を極める。しかし、適応できていれば、知的障害ではなくなるのか。
・Intellectual Developmental Disorder(2013年DSM-ⅴ(アメリカ精神医学学会))
・臨床的評価と標準化された個別知能検査の両面で確認される知的機能の遅れ(IQ値の来ては削除)
・複数の場で確認される適応能力の問題
・知的機能の遅れと適応能力の問題は、発達期に出現
リスクとしての発達障害
・能力の偏り、得意不得意、好き嫌い・・・・・これは誰にでもある
・しかし、それを「個性」と括って済ませるにはリスクの高すぎる人は存在する
・日本の風習では「個性=自己責任」の考え方が存在する
・個性はマナーの範囲内で…。
・リスクは、単純な能力の高低・診断名では決定されない。
・支援者によるカバーのコストバランス
・対人性の特徴(比較的直截な困難) リスク ・知的機能の特徴(比較的二次元な困難)
・家族の認識・教養のあり方
・リスクの克服を本人のスキルアップ(本人努力)にのみ求めることは将来的な社会的コストをかえって増大させることにもつながる
・本人がサポートのメリットを受容するには、家族と支援者が子供像を共有することができる
障がい受容の心理過程
ショック(行動の停止)⇒否認:事実上の心理的な引きこもり(ドクターショッピング)…新興宗教の悪徳商法にひっかかりやすい⇒怒り・絶望(なぜ私なの!!)…合理的な説明を受け入れられない⇒再起・適応
・援助の質を決定する2つの水準
(1) 子供の発達水準 (2)親の不安水準
障がい受容・子ども受容
・障がいの告知
喪失:障がい受容は「加算」ではない(時間)…理想の子どもとの関係が崩れ、眼前の子供像を失ってしまう
障害は「喪失」ではない
否認・怒り:診断の拒否と心理的ひきこもり 「普通になればいい」というスパルタ
絶望:あきらめとネグレクト・表面的な「受容」による過小評価
適応:「保護者」をアイデンティティとしてしまう状態
前回の内容と今回の目的
・前回の講義では、子どもの障がいを受容する心理過程と、その援助について
・今回は、受容への支援にあたってきわめて重要な、虐待との関連性について学びます
発達障がいと子ども障がい
・つながりを理解する視点
・「子供に発達障がいがある」ということが保護者の育児負担を憎悪させる、という視点
・虐待をうけた子どもの示す言動が、発達障がいをもつ子どもの言動と似てくる、という視点
・保護者に発達障がいと思われるような特徴があることが、意図の善悪を問わず、子どもの養育を虐待的なものしてしまう、という視点
・虐待か発達障がいか、という鑑別の問題
・このような鑑別はどこまで現実的か??
・「子供の発達的資質か養育か」という軸足は、ケースマネジメントの進捗とともに変動する
「自閉」のダメージの深刻さ
・3つの比較群:自閉症児群、言葉のないMR群、8か月の正常児
・驚き、喜び、不満、要求の刺激状況での発声を録音し、親たちに判断を求める
・MR群と正常児の親たちはどの状況下での発声かは判断できたが、自分の子どもかどうか判断できなかった。
・自閉症群の親は自分の子どもの声と状況を判断できたが、他の自閉症児の状況は判断できなかった
・MR群と正常群の発声は状況固有で共通しているが、自閉症群は各自が特異的である。
⇒親子相互作用への影響…素直な関係が築けなく、「ダウン症だから??」という見方が多くなってしまう
保護者の気持ち、とは
子どもの障がいが改善されること(特性論)・生活が楽になること(関係論)のどちらかに偏る
虐待環境への適応
・虐待環境での当然の反応・虐待環境での特異的学習⇒①理解はできるが受け止めがたい行動
②理解に苦しむ逸脱した行動
ことば(思考)・気持ち(感情)・体(感覚)
・「こころ」のバランスを支えている3つの柱
・前回までで、発達援助の背景になる加須木支援について説明
・発達支援と家族支援の関連性
・発達受容過程と援助の留意点
・発達援助に不可欠な視点としての子ども虐待支援
・行動の学習
オペラント条件付け 行動(頻度の増大・減少)⇒環境変化(快・不快の変化)(累積度数という考え方) 手がかり刺激(弁別刺激)パターンの形成(シェーピング)ほめ方・叱り方(強化スケジュール) 強化と罰は「反対方向の同一効果」ではない 罰によってある行動を抑制しても、それが望ましい行動の発現につながる保証はない
強化スケジュール
・連続強化(日常生活ではあまり生じない??)
・部分強化⇒間隔強化・変動強化
シェイピングの原則
・基準は少しずつ上げる
・基準はいつも一つに絞る
・基準は挙げる前には、強化を変動強化にしておく
・新しい基準を導入するときには、一時的に古い基準は緩和する
・相手をよく観察する
・一度できた行動が再びできなくなったら以前の基準に戻る
・基準は操作的に定義する
・前回は、LDとADHDという概念について理解することと、実際の発達支援の場でこうした概念をどのように活用するかということについて理解すること ・LDについては医学的な診断基準よりも幅広い教育的LDという考え方があるADHDの症状以外の診断の軸・2領域の症状のいくつかが、7才未満に存在して、障害を引き起こしている・これらの症状が、二つ以上の状況で存在する・社会的・学業的・職業的機能において、臨床的に著しい障害が存在するという明確な証拠がある・広汎性発達障害、統合失調症、その他の精神病性の経過の中のみ起こるものではなく、他の精神疾患ではうまく説明できないLD・ADHDを巡って~発達支援の現場で重要なこと~・認知領域ごとに個人差であるということ自体は、LDという範疇に入らない子どもでも当たり前にある・アセスメントなどで個人内差を明らかにしていくことは、「できなさ」を説明するだけでなく、「でき方」を見つけるためである。・モルガンの公準 ・「より直接的・生理的過程で説明できる現象を、わざわざ構成概念で説明してはならない」発達支援と家族支援(親が発達障害をもっていると思われる子を受け入れ、付き合っていける手助け)・子どもが生き物であり、成長の歴史をもっているように、家族も生き物であり成長の歴史をもっている・子どもの発達に時間という要素と仕組みがあるように、家族の発達にも時間という要素と仕組みがある・発達支援と家族支援は、限りなく同じようで異なるものさし