(霊)魂

タブラ・ラーサ 羅tabula rasa
 白紙としての心を例える「なめらかな板」の意味で、ロックが『人間悟性論』のなかで経験論の立場を明確にするために用いた言葉である。ロックは、私たちの心はなんの観念も持たず、白紙のようなものであって個々の経験によって白紙としての心に全くの外部からの働きかけの結果、その都度知識が経験を通して心に蓄積されるのだと主張する。⇔デカルト等の生得観念
 心は白紙と言いながら、心が全く受動的性質のもののみ説いたのではなかった。
 ロックは感覚的観念に優位性を与えはしたものの、一方で内観という反省機能を認めていたのは完全な感覚主義的経験論になれなかったことの証明。発展⇒ヒュームの経験論であり、コンディアックの感覚論

魂 希psyche 羅anima
 ギリシア語プシュケーは、ホメロスに見られるように、元来「命」「生命」「肉体から離れ去った亡霊」と意味した。このプシュケーが最初に「意識的自己」と同一視されたのは、おそらくギリシアの先進地イオニアにおいてであったと思われる。しかし、この段階では、肉体と魂の間には、別に対立はなかったのである。のちにプラトンがオルフィクの教義から受け取ったと思われる教説、すなわち魂は、肉体の内に幽閉されている、肉体(ソーマ)は魂の墓場(セーマ)であるとする教説は、おそらくピュタゴラスの時代以前に、ギリシアの地にもたらされていたと思われるが、この説は、魂の輪廻の説と結びついた形で、ギリシアの思想界に広汎な影響を与えたのである。プラトンは、「パイドン」の中で、多くの人々は魂が肉体から離れるとたちまち吹き飛ばされ、滅び去ってしまうと思い込んでいることについてその蒙昧を理論的に証明し、魂の不死性を明らかにするとともに、あたかも牢獄の格子を通してみるように、この肉体を通してみるように強いられ、無知の中に転々している魂を開放すべきこと、言い換えるならば、真正の哲学者は、一切の肉体的欲望から遠ざかり、身をそれらの欲望にゆだねることを拒否しなければならない、とした。魂と肉体の対立は、ここに明白となったのである。彼はまた、国家において、魂を「理性的部分」「情意的部分」「欲望的部分」と三つにわけ、「パイドロス」では、魂は馭者と二頭立ての馬に例えられているが、ここでいう馭者は、「理性的部分」とし、魂の最も重要な部分であるとし、アリストテレスの意見でもあった。
 前ソクラテス期の哲学者たちの大部分は、宇宙を一種の生命ある有機体を見なしていた。
 プラトンが魂を肉体から離れた一つの実体とみなしたのに対して、アリストテレスは、それを生命ある肉体の形相とみた。
新装版哲学用語辞典 村瀬能就 東京堂出版 1999/09/25

あらや‐しき【阿頼耶識】
〔仏〕(梵語 laya-vijna)人間存在の根底をなす意識の流れ。輪廻を超え経験を蓄積して個我を形成し、またすべての心的活動のよりどころとなる。唯識派で説く。八識の中の第8識。旧訳くやくでは阿梨耶識。略して阿頼耶・頼耶・阿梨耶・梨耶とも。
広辞苑第六版より引用

たいきょくずせつ【太極図説】
北宋の周敦頤しゅうとんいの著。無極たる太極から陰陽・五行・万物の生成する発展過程を図解した太極図を作り、これに説明を加えた書。1巻。南宋の朱熹が、これについて「太極図解」「太極図説解」を著したことから有名になった。
広辞苑第六版より引用