靴の綺麗な人が増えた 小話
今年は、去年よりも外に出ることが多くなった。パンデミックの状況下で多少なりとも自由に移動できるようになったのは、大変喜ばしいことである。
渋谷、恵比寿、神保町、日本橋、荻窪、吉祥寺、、、東京の都市には何度も出かけた。大切な友人もでき、様々なお店にも訪問した。仕事を始めたことでできた縁も多い。天にも昇る心地でまっすぐ前を向いて、時々は隣人の横顔に目をあげて心を満たす。去年の孤独を感じる日常とは大違いだ。
そんな心躍る外出でも、ふと目を下に落とす時がある。それは会話に間が訪れる時だったり、段差につまづいたり、靴紐が解けたりした時で、このアクシデントで会話の端をしばしば折られる。少し不満げなため息をのみこんで目線が地面に近づく時、周りの人間の服装を見ながらふと思うことがある。
靴の綺麗な人が増えた
ピカピカのハイヒール。真っ白で泥ひとつないスニーカー。傷が見当たらない編み上げのブーツに底が擦れていない厚底のサンダル。どんな靴でも、それらは買ったばかりの色と形をそのまま残していて、足はお行儀良く靴の中に収まり豆の木の芽のように太陽に向けてすっと脚が生えている。
どうしてこんに靴が綺麗なのだろう。靴紐はどうしたって汚れてくしゃくしゃになるし、内股気味の人の靴は内側の足裏が擦れて削れている。足幅が広い人は口に大きな皺がつくし、窮屈そうに何度もつま先を地面に打ち付けている。この交差点で信号を待つ間にそのようなことをしている人は1人も居ない。
今まで外に皆外出していなかったから?歩く時の癖や感覚を忘れてしまうほどに私たちはうちに籠って居たのか?
新しい気持ちで新しい靴で外出しているから?皆が皆そうなのか。皆再び物事を始めるときは、心機一転で全てを変えてしまうのか?
再び目線を上に戻して靴から洋服に移す。シワのよったコーデュロイのミニスカートにボタンの取れかかったストライプのビジネススーツ、茶色のしみがついたトートバックを抱え、毛玉のついたサマーベストを着こなす女性がいる。
靴だけが彼らの日常から浮いているみたいだ。青白い光を放つスニーカーのソールが、いやらしくめだつ若者は、一体どこに向かうのか。公園に行って、気がすむまで遊んで。靴底が土で汚れ、踵がつぶれ、靴紐が解けてドロドロになっても。足をばたつかせて、自分の肌と骨に靴を馴染ませて、何度も転ぶ経験をそのスニーカーとして欲しい。
仕事から帰ってきたら、汚れをブラシでおとし、エナメルの擦れを布で拭く。平日は土を払いくらいで良い。
週末になったら一斉に靴を洗濯板と硬めのブラシでゴシゴシと洗って、ベランダに立てかけておく。洋服もカバンも同じ場所で日向ぼっこをしながら乾かしておく。そうしてまた月曜日にピカピカに磨き上げられた靴が、柔軟剤の香るトートバックと洋服と共に、「お行儀よく」私に身につく。
あの若者は、大きなショッピンセンターの自動ドアを抜けていった。
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