朝焼けについて 小話
朝焼けを最後に見たのは夏。8月18日の5時13分。写真を撮ったのでよく覚えている。夕焼けと対で語られることが多いこの時間帯はまさに対照的な様子を私たちに示してくれる。
夕焼けは視覚で語られることが多い、まさに昨日書いた記事にも言える事であるが、鮮やかな色が空に広がる様子は私たちの瞳から心に入り込む。
対して朝焼けは、触覚である。朝焼けの澄んだ光は、涼やかな風となり私たちの体を包み込む。朝目が覚めて深く深呼吸をしたり、目をつむって瞑想する人が多いのはこのためだ。朝にだけある人の体温で温まっていない冷たい空気は、人や動物を求めて飛び回る。鳥の背中に飛び乗り南に向かう風もいるし、川の流れと同じ速さで漂うものもいる。朝とは、自由な時間である。太陽という地球上で絶対的な存在の顕現を、私たちは目正面からみることは不可能なのだ。だから、目をつぶって朝を感じる。太陽が東の方で私たちを見つめている。庭の芝生をなでる風の集団は少しの青臭さとともに部屋の中に滑り込み、澱みきった部屋を浄化する。
雲はもくもくと群青色のカーテンに垂れ下がり、日に照らされたレモン色に溶けないように必死に浮き上がる。黄味は太陽に近づくにつれどんどん濃くなっていくが、ビルに遮られて彼の全貌を見ることはできない。
庭に寝そべっているうちにきっと彼は現れるだろう。光の粒たちとともに、嫌になるくらい私の肌を焦がす。私をじっと見つめながら、彼は無邪気に私たちを喜ばせ、苦しませる。南の空に太陽が出てきてしまう前までは人に長くとどまっていない冷気が、私を守ってくれる。
冬は太陽が昇るのが遅い。私たちは常に日が待ち遠しく、恨みがましく夜を見る。やっと来た太陽に、私たちは目も当てられずに下を向く。 それみたことかと捨て台詞を吐きながら夜は早めの月を水色の空に投げる。私たちの目が太陽に潰されないように。触覚、嗅覚で太陽を愛することができるように計らってくれる。
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