いかに続けられるかが本質で、質は二の次という気付き
タイトルが結論であとは全部蛇足です。
まだ9月終わってないけど、この9月は離れ気味だったギターと英語をちゃんと毎日やろうと決めて、毎日やることができたので振り返ってみる。
脇にそれるので下で話題にはしないけど「データ指向アプリケーションデザイン」も1~4章がほぼ読めたので達成率の高い一ヶ月だった気がする。
ギターをがんばりたいという話
ず~~っとギターロックというものが好きで、半端に4つ楽器をやってきて何も極めたものはなかったのだが、やってきた中ではギターが一番好きだったので社会人になってから改めてエレキを買った。
買ったくせになんだかんだと理由をつけて弾かない人生を送ってしまっていたが、自分の人生の目標からギターを外すことは無理である、という事実と向き合うことに決め、AI英会話を始めるタイミングで同時に何が何でも毎日5分でも10分でもやると決めた。
メニューはたった一種類。星街すいせい「放送室」のリードギターを練習する、それだけ。こうやって絞ったのが結果として正解だった。
9月頭の時点で譜面はほとんど覚えてたので暗譜まではすぐだった。ひたすら原曲を聴きながら弾く。課題が見つかればフレーズ単位で集中してやる。
ギター練習を習慣化出来ていない現在において、「習慣化」が最大の壁。とにかく習慣化にフォーカスして、練習の質を切り捨てる…
…という気持ちでやっていたら、「放送室」自体の完成度はじわじわとした上昇でしかなかったのだが、副産物として以前に弾き語りが上手く行かなかったずとまよの「袖のキルト」をなんとなく弾いてみたところ、簡単に弾き語りできるようになっていた。
こんなエビデンスもクソもない話で申し訳ないが、いかに続けられるかが本質で、質は二の次という気付きがあった。
英語学習法に関する私見
多読をやっていくつもりだったけど、結局AI英会話に移行したという記事は前にも書いたが、裏にどういう思いがあるのかをなんとなく書いてみる。
「英語学習法」というのは、ボイトレと同じぐらい方法論の混沌だと思う。大勢がそれぞれ、てんでばらばらなことを主張している。「英文法、発音、単語をそれぞれ独立して集中的にこなしてから他の技能を磨くべき」だとか、「瞬間英作文がすべてを解決する」とか、「リスニング中心にするべきだ」とか、「多読しとけばとりあえずOK」とか、「精読できるようになってからじゃないと多読は何の意味もない」とか。枚挙にいとまがない。
ただ、あまりにもバラバラすぎて気になってきちんと調べたら、
この世には第二言語学習理論というものがあり、語学学習法に一つの正解というのはないというのが結論らしい。
それもあり、学習方法にこだわることをやめた。
自分がやってるAI英会話は、最近はろくにレッスンをやらずに適当に会話・瞬間英作文をこなしてるだけなので「勉強の質」という意味ではあまり大したことは出来てないんだろうなあと思う。
ただ、「最高だが続かない勉強法」って何の意味があるのだ?と思ってしまう。これは以前も書いた気がするが、TEDトークで最高の英語の勉強法が勧められてるのを学習初期に見つけたことがあった。ただ、同時に「これを実際にやるのは無理」だと思った。絵に描いた餅の典型だと思う。
あらゆる目標や方法論というのは、達成可能でなければ何の意味もなくて、しかも大抵の場合「達成可能」というもののキャパは自分が思ってるよりずっと小さいというのが大体の人にとっての現実だと思う。
というか自分は特にそうだ。
7年もエンジニア職をやっているとそういう気付きが色々な場面であって、だから特に自分はできる・できないというものをベースにやる・やらないを決めるようになってきたけど、これは正しいというか本質で、こういうふうにやらないと何も出来るようにはならないと個人的に考えてる。
追記すると、にじさんじENの方の前紹介した「聴く・話すを重視」などの内容と、それに基づいたSpeakアプリの利用。これは「楽しさ・負担の少なさ・上達の実感」などを加味して「続けやすさ的に最高」と判断したので続けることにしたけど、「効率を最大化するために」という目的にするつもりはないかな、と。どっちみち超長期目線で伸ばしていくつもりでいる。
小話なので適当に終わります。