ロンドン塔の密会
ロンドン塔の光の当たる場所には、造幣局と魔術師たちのいる天文台や研究室がある。ここはオクスフォードにもケンブリッジにも負けない研究者が集うと言うのだが、ここに勤めたがる魔術師は大学の共同生活を嫌って逃げてきた自由人か放蕩者すれすれの者たちばかりだ。ふつうの神経では、ロンドン塔に寝泊まりしたいとは思わないものらしい。
ロンドン塔の光の当たらない場所、それはあの悪名高い門をくぐって入る反逆者たちの収監される場所だ。地獄の沙汰も金次第と、良い部屋を買えば使用人も面会人も呼べるそこそこの部屋が提供されるが、金が無ければ生まれた事を後悔するような時間が待っている。
宮廷魔術師で、国務長官に任命されたディーン・ハワードは女王陛下に呼ばれない限り薄暗いロンドン塔の地下室で存在してはいけない密偵や使い魔たちを回収し情報を共有する。
全ては女王陛下を害しようとする敵を殲滅するためだ。その為には手段を問わない。情報を早く正確に得るために。
「自宅で例のフィレンツェ人を拷問したといううわさが流れているぞ、ディーン」
カンタベリ大主教ヨナタン・フラメルが呼びかける。呪われた地下には無縁のはずの大主教は、ディーンの仕事の大切な同僚だ。
「拷問はしていない。ただ話をしただけだよ」
「だが、あのフィレンツェの銀行家は怪我を隠す様な歩き方をしていたぞ」
「…パーシーが僕のいない間にこっぴどくぶちのめしたんだ。パーシーはロベルトを暗殺者だと思ったんだよ」
「ノーサンバランド伯は君の家に住みついているのか。スパニエル犬みたいに?」
ディーンが明言を避けると、ヨナタンは微笑する。
「それにしても、あんなマヌケを暗殺者だと信じられるのはスペイン王と”ローマ司教”だけだろうな」
先王の時代からずっと、宮廷ではローマ教皇を”ローマ司教”と呼ぶ。この国の主長はあくまで女王であり、神の次に女王があり、女王こそが信仰の擁護者だという事になっているからだ。それにしても、ヨナタンの話し方はいつも過激だ。
女王陛下は国内外の数々の敵に囲まれている。ヨナタンが言った”フィレンツェ人”も、危険分子の一人だ。フィレンツェの銀行家を名乗るこの男は、後ろにスペイン王がいると密偵の情報から確信していた。
フィレンツェ人は女王陛下に対する暗殺計画を企てているが、今の段階ではまだ全容がはっきりしない。スペインが後ろにいるのは分かっているが、確固たる証拠がない。
「フィレンツェ人は北部に呼びかけているようだが、北部諸侯はほとんど耳を傾けていない。ノーフォークの暇人たちが真面目に話を聞いているだけだ」
「君の実家のハワード家か?奴らはディーンの叙勲に腹を立てていただろう」
「腹を立てて根回しもせずに、ハワード家の当主と女王陛下の結婚をごり押しで進めようとしている」
「スペインの次は、ノーフォークの兵隊が攻めてくるのか。本当にここにいると楽しくて寝る暇もない。二正面作戦をやる金は無いぞ。だいたい武器と兵がいない。もう少し泳がせて、密偵の数を増やそう。スペインの方は時間がかるが、ノーフォークの方はさっさとロンドン塔にしょっ引いて吐かせてしまえ」
「相手は爵位を貰い損ねた地主でも、まだ宮廷に友人がいる強力な地主なんだ。証拠が揃ってから逮捕しないとだめだよ、ヨナタン」
「お前の望むとおりにしよう、ディーン」
ヨナタンは頷き、優しく微笑む。どこからか動物じみた激しい悲鳴が聞こえ、彼は頭を振る。
「この場所は誰にもばれないのは良いが、環境音が最悪だな。チープサイドすら桃源郷に見えてくる」
カンタベリ大主教の密偵は聖職者の服を着ているから、誰も疑わない。こんなに罰当たりでこんなに隙のない密偵が他にいるだろうか。
機が熟すまでは慎重に情報を集めよう。全ては、女王陛下の為に。