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心の境界線
「うまく線引きしてやっていかないとね...」仕事の話をしていた時に友達が言った言葉。「ここまではOKだけど、この先はNO」と自分で線を引き、「できないことはできない」としっかり伝えよう...という文脈だった。
この「線」というのは、心の境界線 (boundary) のこと。
イメージ的には家の周りの塀(へい)のようなもので、塀があることで、人が勝手に家の敷地に入ってくることを防いでいる。
家の塀は目に見えるけど、心の境界線は見えないから、自分も周りも知らずにその線を越えていることがよくある。
というか、境界線そのものがうやもやで、それがあることさえ自覚してないとしたら、「それって何?」から始まるテーマなのかもしれない。
私自身がこの「バウンダリー」という言葉が精神的な意味で使われることを知ったのは、30年前の離婚をきっかけに読み始めた本や参加したワークショップからだったけど、英語圏ではこの boundary というコンセプトが浸透してきて、最近は様々な場面で使われている。
心の境界線をちゃんと引いておかないと、入ってほしくない領域に人がズカズカ入ってくる。と同時に、自分も人の領域にズカズカ入ってしまう。(塀のない家の敷地に勝手に出入りし合ってる隣人たちのイメージ)
日本の文化では「ウチ」は自分と家族(と親友など)を含むので、自分自身の周りに太い線を引く習慣がない。(英語圏では自分と家族の間に太い線が引かれる。)だから、自分の領域に家族が入ってくることにさほど抵抗を感じない(し、そういう関係の方がいいと思ってる)人たちも多いと言われるけれど、家族の介入を「過干渉」と感じる人たちも少なくない。
よくある「ズカズカ」のケースは、成長して家庭まで持っている子どもの生活に口を出す親。聞いてもいないのにおせっかいな助言をしてくる先輩。頼んでもいないのに「手伝うよ」と勝手に現れる友達。持参の高級酒を飲み干すまで延々と居座る親戚。おもしろいからと強引に誘う兄弟姉妹。
ズカズカがいかにも迷惑なことなら「やめて」と言うけど、こういう一見「善意」が見え隠れする状況で断ったり、止めたりするのは難しい。
波風たてなくないし、断って気を悪くさせるより、こっちがちょっと我慢して聞いてあげたり、誘いにのったりするだけで、その場が収まるならその方が楽…
こういうズカズカを許した後は、ドッと疲れて、重い体が縮こまる。でも、「親切でやってくれてるんだし、ありがたく思わなくちゃ」などと、自分を励まし、気を取り直そうとする。
そして、自分も「親切な人」に徹して、相手がやってもらいたがっていそうなことを先読みして救いの手を提供する。
疲れてても人の分までやる、頼まれもしないのに助けの手を差し伸べる、人の嫌がることも率先してやる、弱いものは相手かまわず面倒をみる。
「犠牲的・利他的・献身的で素晴らしい人」をけなす人はいないし、本人も「犠牲的で利他的で献身的な」自分を誇りに思い、自己満足。
なのに、ちっとも気が晴れないのはなぜ?
せっかく手伝ってあげたのにお礼の一言もないの?けっこう無理して都合つけたんだけど全然わかってないみたい。なんでいつも私だけしかやらないの?俺だって好きでやってるわけじゃないんだぞ!
感謝されたい、認められたい、ほめられたいという気持ちが満たされないまま、またしもドッと疲れて、重い体が縮こまる。
「ウチ」の中でお互いの気持ちを察しながら、相互依存の関係を保とうとするのは多大なエネルギーを消費する。いくら親しくても相手がどう感じ何を考えているかを確実に把握するのは無理だし、当の本人さえ自覚してないことを周りが正確に読み取るなんて神業は誰にもできない。
だから、まずは自分がどうしたいのか、どう感じているのかを自覚する必要がある。そのために、自分の周りに線を引いてみる。そして、ひとまず、家族や親友を自分と分けて考える。
自分の境界線の中にいるのは自分だけ。
こういうことを言うと、「線を引く=つながりを切る」のように解釈する人がいるけど、それは誤解で、いいつながりを保つためにこの線を引くと考えた方がいい。
英語にhealthy boundary という表現がある。「健全な境界線」というのは、自分にも相手にもプラスになる、関係を向上させるための愛に満ちた線のこと。
健全な境界線を引くと、嬉しい誘いと気が進まない誘いの違いが見えてくる。無理なくできそうな依頼と無理な要求の違い。ありがたい助言と有難迷惑な忠告の違い。嬉しい親切とおせっかいな申し出の違い。健全な援助と条件付きの援助の違い。
ここまではいいけど、この先はNO
この違いが見えてくると、合わない誘いや無理な要求を断ったり、要らない助言や申し出をスルーしたりする練習の機会に恵まれる。初めは失敗続きでも、だんだんできるようになってきて、嫌々引き受けたことをやらなくて済むようになり、おせっかいな忠告などの量も減ってくる。
それと同時に自分がやってた献身的行為に関しても、本当にやりたくてやってたのかが怪しくなってくる。
相手によかれと思ってやってたけど、実は相手が本当に望んでいたこととは違ってたかも~
線を越えてやっていた「親切」が実は相手の成長を阻む結果を生んでいた(親の必要以上の子どもへの口出しとか)としたら、相手のためにもなってなかったという残念な結末になってしまう。
概して「頼みや誘いを断ったら相手の気分を害する」という思い込みがある。確かに断った時点での反応は快適ではないかもしれないが、その結果、より適切な相手へと依頼が回っていくかもしれないし、気乗りのしない誘いへの無理強いはお互いいいことなさそうだ。
NOと言うのはむずかしい。
でも、NOと言う=自分への YES!
自分の本心に従う=自分への YES!
あなたならどんな塀にする?白いペンキで塗られたかわいい塀?それとも美しい竹垣?土塀?緑の生垣も素敵だし、レンガ造りの赤い塀もいいね。
自分の好きなデザインを想像して、愛に満ちた境界線を作ってみてね~
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