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加害者を責めない被害者

ニュージーランド人の生き方、もののとらえ方に感心することは尽きないけれど、中でもすごいのは、惨事に遭った被害者なのに、加害者を責めない人たちがいるというところ。

「被害者のお母さん、怒りなし」

もう何年も前のことだけど、息子の死の知らせを受けたお母さんの言葉が、新聞の見出しを飾った。ヨーロッパから帰途についていた息子さんの乗った飛行機が墜落したのだ。

29歳の息子さんは、2歳と4歳になる男の子の父親で、「みんなにもうすぐ会えるね」と離陸した空港からメールを送った直後の事故だった。

墜落の原因はウクライナ上空で爆発したミサイルの弾頭よる撃墜とされているが、お母さんは、航空会社にも、ミサイルを発射した側にも怒りの気持ちはないと言う。

「たまたま、そこを飛んでいただけで、狙ったわけではないでしょう」

息子の訃報にふれ、悲しみにくれた母親はだれも責めなかった。

高校生のグループが悪天候の中、急流の川へ繰り出し、先生と生徒たちが溺死した時も、国中が悲しみに包まれたが、川下りのリーダーだった女性を糾弾する声は報道されなかった。

結局は、担当したアウトドアセンターが法的責任を負うことになったけれど、事故の時点で、センターの人たちを責め、なじる親たちの姿はなかった。

交通事故で娘を亡くした父親が「同級生の運転手への怒りはない」と断言したり、飲酒運転で歩道に飛び込み、幼い子どもをひいてしまった高校生に対して、子どもの親が「このことを糧に、立派な大人に成長してほしい」と言ったりする。

この国の被害者がよく使う表現に、Now we can get on with life.(これで前に進めます)というのがある。

息子を何者かに銃殺されて、元娘婿に疑惑がかかったが、その男は関連の罪で投獄されただけで、未だに殺人犯はわからないまま---。このような苦しい状況にあるお父さんが、元娘婿が数年の服役後、出所するというインタビューで、「これで前に進めます」と言っていた。

以前は、娘婿として家族の一員だった男に対して、もろもろの感情があるだろうに、お父さんは、残された家族が今後幸福に生きていってくれることが最大の願いであり、特に、娘と孫たちが第二の人生を楽しんでくれることを望むと語った。

そして、「お孫さんを父親に会わせますか」という問いには、「もちろんです。彼らの父親ですから」と答えた。

加害者を憎むより、前に進むことを選ぶ被害者の人たち--- 彼らは人のせいにすることが自分の幸せにはつながらないということを自覚しているのかもしれない。

だれかを責め、なじり、憎むことで、その場の痛みや悲しみは緩和されるかもしれないけど、心の中のしこりが消えない限り、前には進めない。

残された者が前に進む道を選び、歩み続けていく---ということは、亡くなった方への一番の弔いなのかもしれない。

"My boy died in the sky. It's a beautiful place to die." 
「息子は空で死にました。なんて美しいところでしょう」

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