道草人生
なんであんな学校に3年も通ったんだろう
なんであんな店でバイト続けてたんだろう
なんであんな人と5年もつきあってたんだろう
あんな学校で店で人とぐずぐずやってないで
さっさとやめればよかったのに
なんて無駄なことをしちゃったんだろう
あの無駄にした3年間、5年間を人生から抹消したくなる。そして、やめなかった自分の不甲斐なさを悔やみ、責め、自己嫌悪に陥る…。
でも、こんな時自分を責めてもいいことない。
なんだかわかんないけど、やめられなかった
それでよし!
後から、こうすればよかった、ああするべきだったと言うのは簡単だけど、それができるぐらいなら、やってたはず。
だから、しょうがないよとあきらめる。あれしかできなかったんだからとなぐさめる。それしかできなかった自分を許す(のは難しいけど、少なくとも許そうと努力する)。
と同時に
あの時、嫌々ながらも通学し続けたのは自分
バイトをやめるという決断をしなかったのも自分
別れようと言い出さなかったのも自分
ということを認める。「だから自分が悪い・バカだ・最低だ」という決めつけなしに、単にそのことを自認する。
もちろん、他の要因も山ほどあって、他の人物からの影響の方が大きかったのかもしれないけど、人を責めてる限り、前には進めない。
「自分がした」ととらえることで、被害者意識から離脱し、決定権を取り戻せる。
ある時、突然ストンと来る。
嫌いな学校だったけど、高卒の肩書だけは取れたじゃん
家を出て、独り立ちできたのは、バイトのおかげ
あの人とのつきあいで、自分の限界がわかった
それは何年も経ってからかもしれないし、意外と早いかもしれない。でも、あの辛かった、悲しかった体験の恩恵が見えた時、実はそれが無駄じゃなかったということに気がつく。
今の自分は、あの時の体験なしには存在しない。あの体験から学んだことは、しっかり身についていて、ここぞと言う時に活躍してくれる。あの時のネバリの効果は、きっとどこかで発揮される。
そして、当時は見えなかった、自分の言動の謎も解けてくる。
直線まっしぐらより、道草くいながらの人生のほうが味があるなあ~