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「「不在」トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル展」(三菱一号館美術館)
三菱一号館美術館にとっては初となる現代芸術展。コロナ禍で開催延期となり、4年越しに実現した展覧会となります。今回は後半、カルのパートに話題を絞って。
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最初に展示された映像作品《海》は、イスタンブールの海を前に、人生で海を観たことがない人達に海を見せるというもの。海を観たあとにカメラのほうを振り返る人々の表情は様々で、涙を浮かべる人もいれば表情を崩さない人も、中にはカル独特の「システム」に困惑しているようにも伺えます。彼らが実際に何を考えていたかは作中では示されておらず、鑑賞者に想像の余地を与える作品です。ただ、なんとなく「こういうことなのかな」という想像はできるのですが、同時に、おそらく彼らの感興はそんな"他人"の言葉で矮小化できるものではないのかなと。沈黙によってこそ彼らの感興がより深く、観る側の心に入ってくるかのような、まさしく「言葉のいらない」作品です。
個人的にいちばん印象に残ったのは《どちらさま(C ki)》という、スマートフォンのスクリーンショットと言葉によって構成された作品。亡くなったお父様の連絡先を削除できず、ある時誤発信をしてしまった際、「C ki(Se qui? / 英語で"Who is this?"に相当)」と返信があったエピソードが綴られております。おそらくお父様の電話番号が別のユーザーに渡ったものと思われますが、まるで幽霊となったお父様が「どちらさまですか?」と冗談交じりに変身したかのような幻想、そして父の電話番号がすでに他人のものとなっているという現実。一つの事実の中に真逆の空想が同居している、素晴らしい作品だと思いました。
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また、大規模窃盗事件のあったイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に設置されている、空の額縁を前に観客・学芸員・監視員らに対し「あなたには何が見えますか?」と問いかけるシリーズ作品や、ロックダウン下で包装紙に覆われ、まるでハロウィンの時にシーツを被って「幽霊」のようになったピカソの絵画作品などなど、まさに展覧会のタイトル通りの「不在」、見えないものを観ようとするカルの試みが浮かび上がります。4年前、延期を伝えるカルのメッセージパネルを観たとき、まるで犯行予告を見せられたかのようなゾクゾク感がありましたが、この内容なら4年待った甲斐があるというものです。
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最後に個人的な話をするとちょうど20年前、通っていた大学にたまたま美術批評家の杉田敦さんが非常勤講師として授業をしており、その授業で見せられたのがソフィ・カルの《ヴェネツィア組曲》であり、映像作品の《ダブル・ブラインド》でした。自分にとっては初めて触れた現代芸術で、「怒られるんじゃないか」と危惧する(実際怒られてもいる)手法に驚き、笑ってもいましたが、ただのアバンギャルド、反芸術とは一線を画す詩的感興は今でも残っております。
その時に買った『歩行と芸術』(慶應義塾大学アート・センター、2002)の冒頭、鷲見洋一さんの序文に
「批評家や研究者がまともにそれを取り上げて論じることを、明らかに初めから拒絶しているようなところがある」
とありますが、彼女の芸術には何か向こうを見た、一種の承認欲求にかられた感じというより、純粋な自分自身の興味関心、あるいは楽しみで作られている印象があります。そういう作品は往々にして「独りよがり」として排除されたりもするんですが、そういう感覚がないとむしろ描けないものもある、とも思っていたりもします。
最初に触れた現代芸術がカルで良かったです。
よく考えたら彼女の新作展は初めて(原美術館の再現展に一度行っただけ)。そういう意味でも行けて嬉しかった展覧会でした。
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