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「つぶやき」から「文章」へ - 最近のAI文章作法

 1年以上前、私は美術鑑賞時のメモをAI(ChatGPT、当時は確かBard)に入力し、それを元に感想文を作成しようと試みたことがある。

 そこにも書いた通り、結果は微妙なものだった。
 AIが余計な一節を書き加えるのはしょうがないとしても(こちらで修正すればいいので)、私が伝えたい部分までも勝手に省略され、私が書きたいものとはまるで違う、たとえるなら「大人に気に入られたい子供のような文章」になってしまう。
 私はそれを見て、その方法を一時断念することにした。「文章を書く」というのはただ発表するだけではない、自己満足の要素もあり、その楽しみをAIに奪われたくないと思ったのも確かである。

 しかし、最近またAIを文章執筆に取り入れている。
 手法も大体同じだが、以前と違うのは、展示室で書いた断片的なラフではなく、それをもとに書いたBlueskyの投稿をベースにしていること。
 Blueskyに書いている「感想」はおよそ500〜600字程度。それを1000字程度に膨らませるぐらいなら、そこまでAIは自己主張してこない。私の書いたものをちゃんと活かしてくれるし、水増しがあったとしても、こっちの意図をだいぶ汲んだものを書いてきてくれる。ある箇所について「どう書けばいいかな…」と悩んでいたところに、一つの提案をいただけることもある。
 AI自体の進歩もあるとは思うが、今回に関して言えばAIに提出する「メモ」の質が上がったという方が大きいと思う。

 書いたものをそのままアップするというようなことはしない。それを削って、加えて、変更して…結果、文章全体の90%ぐらいは自力となり、残りの10%がAI助けてもらった箇所、というイメージである。

 AIを取り入れることにしたのは、時間的な部分も大きい。
 もともと下手すぎた文章修行の一環、そして自己満足の要素もあり、最初から最後まで自力でやり遂げる、ということは一つの矜持のようなものだった。400字ぐらいでうんうん唸っていたのが1000字超えで当たり前に書けるようになり、そこそこ整った文章は自分自身への自信にも繋がっていく。

 しかしその反面、文章(主に美術展の感想文)が詳細化・専門化するにつれて、執筆作業が「SNSとは思えないほど」長時間化してきたのも事実。すぐに書けることもあるが、オチが決まらず3時間、最悪5時間かかってしまったというのはさすがに限度を超えている。私にも生活というものがあるし、時間をかけたからって良い文章が書けるわけでもない。

 とどめは昨年、5月・8−9月・11月と、複数回入院したことだった。体力はほぼ元には戻っているものの、退院間もないころは1展みるだけでヒイコラ言ってたような状態。展覧会には行けても、感想が書けずにダウンしてしまったこともある。感想を書くこと自体は「体にゃ悪いが 人生にはきっといい」(©️NakamuraEmi)とは思って続けているものの、さすがに体が終わってしまえば人生も終わってしまう。
 そんな中、より効率的な文章の書き方を模索し、そして再びAIと邂逅したというのは、むしろ自然な流れだったのかもしれない。

 ちなみに現在は1記事あたり、1時間半ぐらいで書けているだろうか。そこからプラスアルファで推敲をしていくわけだけど、以前はまず最後まで書くのに時間がかかりすぎ、推敲にまともな時間を使えなかった。身体的負担は確実に減少、書いている文章もそう以前と遜色ないと思う。

 今でも一から十までなるべく自力で…とは思っている。しかしいつまでも「修行中」と称して未熟さをエクスキューズするわけにもいかないし、そろそろ質を求めてAIに頼って良い段階かなと、今は考えるようにしている。
 ただし、そんなAIに甘え、「自分」が不在の文章を量産するようなことは厳に慎まなければいけない。ネットに転がっている「つぶやき」をAIに文章化してもらいほぼそのままアップ、広告やらなんやらでマネタイズ…ということもできなくはないが、それは私がやりたい方向性とは違う。

 目的はあくまでも「自分の文章」を書くこと、自分の表現に磨きをかけること。それを意識しながら、これからもAIと付き合っていければと思う。

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