7,8年ぶりの登拝に心が揺さぶられる
早いもので今日から12月。今年は誰にとっても特別な年になったと思います。
一日参りが良しとされる神社。7,8年前、毎月1回登拝をしていた大神神社に久方ぶりに登拝して来ました。
標高は500メートルもないのですが、かなりの勾配で 足元もあまり良くないので甘くみてはいけません。神社のHPにも”お山は標高に比して勾配もきつく、最近は体調不良を起こし消防署の出動を要請する事例も多くなっていますので、装備や体調管理には十分にご注意ください。”とありました。消防署の出勤!?
久々に見るHPには英語表記も加わっていてインバウンドを感じました。
当時、長男の激しい反抗期や度重なる怪我によるオペや入院、そして自分の仕事もどうやって広げていこうかと八方塞がりの状態で かなり葛藤して悩んでいました。そんな時に、一ノ宮である大神神社にできれば月1回の登拝を続けて見て、とある人からアドバイスを受け、藁にもすがる思いで始めました。
1時間ほどかけて静粛の中、その登山道を黙々と登ります。そうすると、自然に自分と対峙し、自分との対話が始まります。一歩一歩歩きながら 考えや思いを整理して、混沌とした頭を少し落ち着かせて帰路に着く、そういうことを続けました。
当時は、主人は単身赴任で、4人を一人で育てていたので、とにかく時間に追われていて心身共に余裕もありませんでした。でもだから、月に一回のこの時間は、自分の折れそうな心を休ませるのに必要なものだったと 今思います。
もちろん、登拝を始めたから直ぐに事態が好転するか、と言ったらそんなことはありませんでした。が、ある日突然、偶然ではあり得ないような、すべてのピースがうまくはまって 目の前の景色が変わりました。
毎日1万歩歩いているから大丈夫、とタカをくくっていましたが、7,8年の歳月は正直で「こんなにしんどかったっけ?」というぐらいこたえました。
が、歩き出した瞬間に あの辛くてトンネルの中にいた頃の胸の苦しさが蘇ってきて、あの頃と比べたら、いま迷っていることが 比べ物にならないぐらい ちっぽけな 悩みにもならないことだと 即 感じました。
とても良い時間を過ごせました。リフレッシュして、参道前に出ているお店で、”スイートポテト作ろう”とさつまいもを買って帰りました。
日本にいる間は、毎月来よう、と思いました。懐かしい時間を過ごすと同時に、”今あるしあわせ”に気づくように言われた気がします。自分の見つめ直す場所があるというのは ありがたいことですね。
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