小説を書いたら小説がもっと好きになった。
子育てメディア「コノビー」で連載した小説「娘のトースト」が完結しました。
「娘のトースト」は、主人公「庸子」が、娘「唯」の女の子への恋心を知ることから始まる物語です。
本格的に構成を作り始めてから8ヶ月ほど。 長かったです。でも、苦しくて楽しくて、あっという間の時間でした。
初めて小説を書いてみて、たくさんのことを考えました。
誰だったか思い出せないのですが、作家の誰かが「考えるために小説を書いている」と言っていて、私は、最初にそれを読んだとき、この「考える」というのは、「小説の中に登場する人物と一緒に考える」という意味だと思っていました。
たとえば、この「娘のトースト」であれば、「もしも、自分の娘が女の子を好きだとわかったらどうだろう?」と、主人公が抱える問題や悩みを、主人公と同じように考える。現実では直面していない物事について、小説というフィクションを利用して、当事者になった気持ちで考えを深めていく。そういうことだと思ったんです。
だけど、実際に小説を書いてみたら、それだけではありませんでした。小説を書くというのは、考えることの連続でできていました。何をテーマにするのか、それをどう描くのか、何を書き、何を書かないのか、どの角度で切り取るのか、どこからはじめて、どこで終わらせるのか、何を取り、何を捨てるのか。
考えてみれば、それは、こうしてnoteに書くエッセイやコラムなんかも同じなんだけど、私は今まで、そういうことをあまり意識したことがありませんでした。たぶん、自分自身の経験や感情に対しては、頭の中で自動編集みたいなことがなされているんだと思います。
でも、私が初心者だからなのかどうかはわからないけれど、小説は同じやり方ではつくれませんでした。自動編集は機能しませんでした。ひたすら、あらゆることを意識的に考えなければいけませんでした。その中で「登場人物と同じように考える」は、ほんの一部に過ぎませんでした。そして、一番考えたのは、「小説って、なんなんだろう」ということでした。
今回、ありがたいことに、「娘のトースト」にいろいろな感想をいただきました。とても、嬉しいです。ありがとうございます。その中で、特に心に響いた言葉のひとつが、「同性愛をそれ以上でも以下でもなく、さらっと描いているところがよかった」というものです。それは、執筆中、私が特に心がけていたことでした。
小説のお話をいただいたて、「同性愛」を取り上げることになった時、私の中には少なからず抵抗がありました。「同性愛」が、とても「ホット」な話題だったからです。
普段、私は、話題になっている事柄には、よほどでなければ言及しないようにしています。何かを発言するのなら、きちんといろいろなことを調べたり、考えたりしてからにしたい。だけど、たいてい、そうしている間に、話題はあっという間に別のものに変わっていく。なので、私は、初めから、自分の身の回りのことや、いつも考えていることばかり発言するようになりました。それが、誠実な態度かどうかについての疑問はありますが、ひとまず、今のところ、私は、そういうスタンスでこの情報社会を生きていました。
だから、この小説で「同性愛」を扱うのが、こわかったんです。
「同性愛」を取り上げてはいても、「娘のトースト」の一番のテーマは、あくまで親子関係です。感想をいただいたように、「同性愛」はあくまでさらりと描かれています。なので、この小説からは、「同性愛」が絡んだときに生まれると予想される葛藤や衝突が抜け落ちているようにとられてしまうのではないか。そんな不安は、書き始めてからもずっとありました。真っ正面から取り上げないことが、都合よく「同性愛」を利用していると、とらえられてしまうのではないか、と。
反面、書いているうちに、さらりと「同性愛」を描くんだという意欲は、私の中でどんどん強くなりました。それ以上でも、それ以下でもなく、ただあるものとして描くこと。そういう描き方ができること。それは、小説という表現方法のメリットではないか、と思いました。そして、それこそが、私が小説を好きな大きな理由なのでした。
「小説とは何か?」という大それた問いには、答えが見つからないままですが、小説を書いて確かにわかったのは、自分が前よりも、もっと小説を好きになったということです。一人の人間が生むただの言葉の連なり、それが世界をつくる、ということの凄さに、改めて、深く、胸を打たれるようになりました。
これまで、私は、自分勝手な小説好きでした。小説は大好きだけれど、自分が好きな小説を読めればそれでいいと思っていました。「最近は小説が読まれなくて」なんて声をあちこちで聞くけれど、別にそれはそれでいいんじゃない、とひそかに思っていたんです。だって、もうすでに素晴らしい作品は読み切れないほどにあるし、小説を読んで心を豊かになんて言うけれど、別に他のものでも心を育むことはできるし。どんな状況になろうと、誰がなんと言おうと、私は私で楽しむからそれでいいよ、と。
でも、小説をもっと好きになってしまったら、それを守りたいという気持ちが生まれてしまいました。それに、これまでに素晴らしい作品がいくらたくさんあっても、これから先の小説の世界が豊かでなければ、過去の作品も色あせてしまうだろうということに、やっと気がついたんです。小説がいつか古典芸能のようなものになってしまったら、やっぱり、それはとてもさみしいし、そしたら私の中の小説も、変わってしまうかもしれない。それは、絶対にいやだ。
今は、わずかでも小説を守れるように、私にできることをやっていきたいなと思っています。と言っても、私にできるのは、読むことと書くことだけなんですけど。それだけのことかもしれないけど、ただそれをやっていきたいです。
小説を書いたら、きっといろいろな発見があるんだろうなとは思っていたけれど、小説がますます好きになるだろう、とは思っていませんでした。思っていなかったけれど、とても嬉しくてワクワクする変化でした。
小説が掲載されたコノビーのテーマは「子育てに、笑いと発見を」。「娘のトースト」を通して、一番発見をしたのは、書いた私本人です。できたら、読んでくれた方にも、小さくてもいいから、何か発見が生まれていたらいいな。
「娘のトースト」は下のリンクから第1話が読めます。ぜひ読んでいただけると嬉しいです。