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【mom】no. 7: お母さんに新しい居場所が見つかった日。お母さんは大丈夫。私はそう信じている。

くも膜下出血と、その後遺症で

失語症を含む、高次脳機能障害と
てんかんを発症した

母と家族の話。



今回は、病気して1年以上、

仕事をせず家にいた母が

やっとひとつ
居場所を見つけられた日について

残そうと思います。


母が病気した時のことはこちら。



それでは、今回もお付き合いくださいね。



2024/9/10

今日、お母さんが
幼稚園で正式にお手伝いできることが決まった。

私と私の妹がお世話になった学校の
附属の幼稚園だ。


ひょっとしたタイミングで、ご縁があり、

本当に温かく、ありがたい先生方のお気持ちで

実現したことだ。


週に3日、母が幼稚園の教室に入って

子どもたちと触れ合いながら

一緒にご飯を食べたり、
エプロンの紐を結んであげたりと

できることを
お手伝いさせてもらえることになった。


言葉が上手に話せない私にできるかな...?
大丈夫かな...?

本当にみんな、私にきてほしいと思ってるのかな...?

週3日しかいけないのに、いいのかな...?
9:30からしかいけないのに、いいのかな...?


本当に不安そうな顔で

前日、いや1週間くらい前から

何度も何度もそう言っていた。




昨年、仕事の帰りに倒れた母は、

入院中にやむなく仕事を辞め
(厳密には父が退職の手続きを行なった)


退院後は
言語のリハビリに通いつつ、

家で洗濯をしたり、料理をしたり、
猫と触れ合う日々を送ってきた。


本人はだいぶ前から

仕事をしたい、
家にいるだけではない何かをしたい

と話していたけど、


今年の1月にてんかんがあることがわかって、
車の運転ができなくなり

7月にはてんかんの発作を起こして
緊急入院したりと

なかなか本人のその気持ちに
身体がついてきてくれなかった。



父は

働きたい、

という母の意思を尊重して、


母と同じような障害をもつ人たちに
仕事を紹介するところへ行ったり、

母を連れて実際に1つや2つほど
仕事も見学に行ったり、

どのような内容なのか
話を聞きに行ったりしていたが、


今の母の体調 (できること) と
仕事で求められることがなかなかマッチせず

父も、母本人も

「あれは、難しいと思う...」

と話していたりした。



大好きだった車の運転もできなくなり、

仕事をしたいと思っても、
目につくものは難しすぎてできなさそう...

と、徐々にいろいろなものが積み重なっていき

母は自信をなくしていたんだなと思います。


だからこそ、
今回先生方から母がお手伝いさせていただくお話をいただいた時は、

父も私も本当に嬉しかった。
涙が出るくらい嬉しかった。



母の体調のことも気遣ってくれて、

「やってみたい!」

という母の気持ちを
尊重してくださる

そんな環境があるなんて、

本当に幸せなことだ、、!本当によかった、、

と、父と私は喜んでいました。


そんな傍ら、

それでも母はずっと自信がなさそうで

私の腕につかまって

「わ〜緊張するよ〜〜T T」

とずっと言ってました。


できるか、できないかは、
やってみないとわからないから

やりたいか、やりたくないか

その気持ちを大切にしてみよ?

そう伝えてみた。
(母は忘れてしまうので何度も。笑)


緊張すると言いつつも、

「でも、ママ、やりたい?」

と聞くと


目をキラキラさせて

ほんっっっとうに
ワクワクした顔で

「やりたい!!」

と(何度も)言う母を見て

やっぱり私は母を応援したい。

母は私にそんな風に思わせてくれた。


緊張するの、わかるよ。
自信をなくすのも、わかる。

でもね、お母さん。

いろんな不安を抱えているけど、
お母さんは自信をもっていいんだよ。


今回、先生方がこんなにも
お母さんのことを想って、
こんな素敵な機会を与えてくれたのは

お母さんがこれまでまいてきた

いろんな
「優しさ」や「人助け」の種が

10年、20年、30年経って

いろいろな形で芽を出して
花を咲かせていることを

示しているんだよ。


先月noteに母のことを書いたら、

私のnoteを読んで、

noteを通して、

母の大学時代の友人が、母に会いたいと
連絡をくれた。
(20年ぶりくらいの再会だったと思う)


他にも10年ほど話していなかった母の友達が
何人か連絡をくれた。


自分が大変だった時、

母に助けられたから。

今度は私にできることはない?って。


15年前、私と妹の小学校での
母の存在が

今になって、
言葉の障害やてんかんと闘いながらも

母が働ける機会、居場所をつくった。


母の障害や体調を最優先に考えながらも、

母の居場所をつくりたい
母にきてほしい、ここにいてほしい

そう言ってくれる人たちを
母は生み出した。



お母さんの

その生き方そのもの、

人を助けること

それがいかにすごいことなのか、
素晴らしいことなのか

体現しているんだと

心から感じた機会だったよ。



だから、お母さん
自信をもっていいんだよ。



お母さんは、たくさんの人に必要とされている。
お母さんの居場所は、たくさんある。


お母さんがどんな時も
周りの人を助けてきたからこそ、

それがいろんなところを
まわりにまわって

今帰ってきているんだと、

私はそう信じているよ。


お母さん、これからも一緒に頑張ろうね。
私も頑張るから!


またひとつスタート地点に立って、
これからまたいろんなことがあるかもしれないけど

お母さんなら大丈夫。

私はそう信じてるよ。



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