The only time for you -Hallowe'en Bar version-
あれから数日、私の仕事は相変わらず忙しく、目まぐるしい日々が続く。
しかしながらそれを耐えられてきたのは、ひとえに自分のご褒美のため。
「……よし」
仕事終わり、向かう先は自宅ではない。せっかく次の日が休みなのだし、このまま寄り道せずに帰るのはもったいない。それに、今日のために今までの仕事も頑張ってこられたのだから、そのご褒美の時間。
向かう先は唯一つ――カフェ&バーMOONである。
――カランコロン
いつもの小気味いいドアベルを聞きながら店内へ入れば、先日の内装が夜独特の雰囲気を出しながら私を出迎える。
「いらっしゃいませ――あっ」
そして出迎えてくれるのは、それらだけではない。この店の主も顔を出して、挨拶をしてくれる。私の顔を見て何かを思い出してくれたのだろうか、私の顔を見るなり声を途切れさせる。目が合って、にこりと微笑めばその表情はまた一つ柔らかくなった。
「来てくれたんですね、嬉しいなぁ」
「えぇ、あれだけ言われたら行かないわけにはいかないと思って」
そう言いながらバータイムのおなじみの席に着く。改めて内装を見て、驚きの声が漏れた。
カフェの時間とはまた違う景色。どこかおどろおどろしさもありつつも、可愛らしさも忘れない内装。お化けの飾りが妖しく光り、そんな飾り物がいくつもちりばめられている。
そして何より、驚いたのが――
「この間から準備していたハロウィンバージョンのMOONです。いかがですか?」
「すごいなぁ、って……それに」
注文を取りに来たであろう彼の姿を見て、どきりと心臓が跳ねあがる。
笑むと見える強調された八重歯、耳の飾りもいつもと異なり少し尖ったイメージを持つ。普段のスーツとは違う姿は、まるで夜を支配する――
「ご満足いただけているようで何よりです。メニューもバータイム専用……というわけではありませんが、ハロウィン仕様のカクテルもございますので、そちらもぜひ」
そう言って立ち去るマスター。後姿を見て、確信した。
「あの……」
そうとなれば、頼むものは一つだ。ハロウィン限定のドリンクメニューの中からそれを選んで、声をかければにこりと微笑み、その八重歯を見せてくれる。
「いかがしますか?」
「あの、キール・ロワイヤルを」
「キール・ロワイヤルですね、かしこまりました」
メニューに書き込んでいる彼の姿をじっと見ていると、ふいに視線が絡まった。
「……あっ、もしかして僕の衣装を見て決めてくれました?」
……どうやら彼にとって、これは織り込み済みだったらしい。彼の質問に小さく頷けば、少し誇らしげにしながら改めて姿を見せてくれた。
「皆様からの強いご要望で、吸血鬼にしてみました。似合ってます?」
「えぇ、とても」
背中を向けると合わせて翻る漆黒のマント、微笑むと妖しく見える八重歯、爪も耳も、細かいところまで仮装を施されたマスターは、本当にこの日のために準備していたのだろうと改めて感心した。
「そう言っていただけて何よりです。僕も準備した甲斐がありました」
誇らしげに笑う彼にじっと見惚れていると、それではおつくりしますので、と再びそのマントを翻す。
いつもと雰囲気の違うマスターの手先を見ながら、ドキドキと忙しない心臓の音には見ないふりをした。
ほどなくその手つきを見ていれば、鮮やかなワインレッドのカクテルが彼から生まれる。
吸血鬼に血を分けてもらう、なんて設定では眷族になりそうな雰囲気の漂うそれ。注がれるグラスもハロウィン仕様の飾りで彩られ、なんだか見ているだけでわくわくしてくる自分がいる。
こんな小さなことでもわくわくできるのは、子供までだと思っていた。だけど大人になってからもこの感覚を思い出させてくれたのは、他でもないマスターのおかげである。
「おまたせしました。キールロワイヤルです」
彩られたカクテルグラスを差し出し、ワインレッドのカクテルを改めて見つめる。
「本当……すごいですね」
「こういうイベントごとですから、色々楽しまないと」
やるとなったら本当に何でも本気で取り組む彼の姿が本当にすごいと、改めて感じる。ある種惰性で生きていた私とは違うのだと思いながら、こんな生き方がかっこいいなと思ってしまう程だ。
もらったカクテルに口をつける。ワインベースでありながら、カシスの甘さが広がって、ワインの渋みが中和される。飲みすぎると危ないお酒だと思いながらもその手を止められない。ふわふわと、いつもよりも早いペースで飲んでしまい、酔うペースがいつもよりも早い気がする。
だから、頭の回らない私の考えたことは、安直だったと思う。
「そういえばマスター、ハロウィンの合言葉はないんですか?」
せっかくのハロウィンだし、と実は忍ばせたお菓子の詰め合わせ。ここにいる人たちとみんなで食べられるようにと準備したが、せっかくだしそれは彼の口からききたいと思ってしまった。
酔った私の、個人的な願望他ならない。
「えっ? ハロウィンの合言葉?」
「マスターともあろう人が、知らないわけじゃないでしょう?」
「もちろん知っていますが……ふぅん」
私の言葉に何を思ったのか、彼は少しだけ考えたそぶりを見せてから、私のことを流し目で見つめる。
――にやり、笑んだ端から見える八重歯に、ドキリと心臓が跳ね上がる。
「お客様もなかなか欲張りだ。この衣装床の内装だけじゃ、満足いただけなかったんですね」
「いえ、せっかくですし、と」
彼の纏う空気が少しだけ変わった気がして、慌てて取り消そうとしてみるが、酔った頭ではそれを回避する方法など到底浮かぶわけもない。
そして間もなく、にやりと彼の表情が再び変わる。
――私は、知っている。あの表情をした彼が悪いことを考えていることを。
「お客様」
普段は見られない、妖しく光る瞳。ハロウィンの空気も相まってそれは一層ゾクゾクと背筋を伝っていく。逸らせない瞳の力に誘われるまま見つめていると、彼は言葉をゆっくりと続けた。
「一回しか言わないので、ちゃぁんと聞いてくださいね?」
――カラン。
別のお客のグラスの氷が溶ける音が耳につき、やけに静まり返った店内。見つめられ、逃げられない感覚にドキドキと鼓動は忙しなく鳴り続ける。
――Trick and Treat
「お菓子、くれても悪戯しますね」
微笑む彼は、私がそのお菓子を持っていることまでお見通しだった、ということだ。息をのんで見つめていると、彼はその悪戯を考えているように見える。顎に手を置いて考えていると、あぁ、と一言。
「悪戯は、そうだなぁ」
ひょい、と持っていかれる私のグラス。
「今飲んだ、その赤いカクテル――僕がもらっちゃおうかな」
先ほど私が口をつけたその場所に重ねるように、彼の唇が重なった。
こくり、と喉を鳴らす音がやけに鮮明に聞こえる。
私のカクテルなんだから、と思う一方、その飲む仕草があまりにも様になっていて、目を奪われて何も言えなかった。
たった一口、だけどそれに目をすっかり奪われた私を現実に引き戻してくれたのも、また彼だった。
「そんな顔して、かわいいなぁ」
「だ、だって――!」
何か言い返さないと、と口を開いた私の唇をそっと指で押さえ、ウインクを一つされたら。
「……意識してくれることが、僕のいたずら、ってことですよ」
――あぁ、この人は。
悪戯っぽく、何も言わせない雰囲気を纏う吸血鬼の彼に。
恋をしたのは、言うまでもない。
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