The only time for you -Hallowe'en version-

 秋の陽気が漂う、昼下がり。久しぶりに使った有給はなんだかいつもの景色が違って見えて、それだけでなんだかワクワクしてくる。子供のころのような純粋な楽しみは少しずつ薄れては来ているものの、大人になったからこその楽しみ方を理解してきた気がする。
 そのうちの一つに、この平日に街を歩くことがあげられると思う。
 周りを見渡せば忙しなく動く人たちの姿。彼ら彼女らは今も迫りくる仕事に追われながら、せっせと働いていることだろう。その中でも自分がゆっくりと散歩している優越感。これはある意味仕事をし始めてから覚えた、学生の頃では味わえない優越感だ。
 普段ここを歩くときは仕事帰りが多い。夜の街並みとはまた違った景色が眼前に広がっていて、それだけでも新鮮だと思えるけれどそれ以上に新鮮な気持ちになったのは、各店舗の様相だった。

「そっか、そろそろハロウィンだっけ」

 そう呟いた時、目に入ったのはカボチャのランタンを模した雑貨だ。ちょっと悪そうな顔にくりぬかれたそれは、中に火をともせばランタンのように使うことのできそうなものだ。
 こんな感じの、ハロウィンに包まれたのは恐らくもっと前からなのだろうけれど、普段はこうして周りを見る事もないから気づけなかった。これも色んな発見だ、と鼻歌交じりに歩いていく。
 たくさんのお祭り仕様になっているたくさんの店舗。

「あっ」

 しかしその中で、思わず足を止めた場所がある。
 そこは普段夜も営業している場所で、私自身も何度か入ったことのある場所。気さくなマスターと話をしながら過ごす時間は、仕事終わりの疲れた体に染み渡る。

「そういえばお昼はカフェなんだっけ……」

 そう。ここを通るのは決まって仕事終わりだったから、夜の時間しか来たことがない。お昼はカフェをやっている、という話を思い出す。そういえばこの時間に来たことがなかったなとぼんやり外装を眺めていると、見覚えのある背中が、せっせと玄関先を彩っていた。

「あっ」

 思わず漏れた声に気づいたのか、背中を向けていた彼はこちらを振り返り、目が合った。

「おや、こんにちは」

 彼も私のことを覚えてくれていたようで、私を見るなり顔を明るくして笑顔を見せてくれる。顔に書いてあるのは珍しい、といったところだろうか。

「この時間にいらっしゃるのは珍しいですね。お休みか何かで?」
「あっ、はい。せっかくの天気だし、たまには散歩もいいかなぁって」
「それはいい。こんなにいい天気だとお出かけしたくなりますもんね」

 にこにことするマスターの手元にあるのは、先ほどのランタンより一回りほど小さいパンプキンの飾り物。恐らく彼もMOONをハロウィン仕様にするための準備をしているのだろう。

「そういえばこの時間のご来店は、初めてですよね」

 彼のすごい所は、何しろその顔を覚える速さと正確性だと思う。私以外にもたくさんの人たちを相手にしているのに、私がバーの時間にしか来ていないことまで覚えてくれているのだ。それはきっと私が特別だからではなく、彼自身のスキルなのだろうと思っているが、それにしたってこの正確性には脱帽してしまう。

「よかったらどうです? コーヒーでも」

 思えば彼の淹れてくれるコーヒーは飲んだこともない。本当はもう少し散策する予定だったけれど、ここで一つ休憩を入れるのもありなのかもしれない。

「そう、しようかな」
「ふふっ、ありがとうございます。ではこちらへ――」

 彼に促されるまま、見慣れた扉に手をかける。小気味のいいドアベルが耳に心地よく、馴染むように私を受け入れてくれた。
 カフェMOON、私の知らない世界への扉が、今開かれたのである。


 入って一番に何に驚いたかといえば、その内装だった。
 玄関を彩っているのだから、当然といえば当然だが内装もハロウィン仕様になっていた。こちらは外よりも派手に、お化けやお菓子、他の妖怪の飾り物なんかも色んな所に飾られていて、思わず入って早々息をのんだ。

「ん? どうかされましたか?」

 驚いて立ち尽くしている私に声をかけるマスター。呆けた声で店内が、と呟けば周りを見渡しながらあぁ、と一言。

「そろそろハロウィンなので、店内もそれっぽい雰囲気にした方がいいかなぁって」

 なるほど、と頷くと嬉しそうに私と同じく辺りを見回す。飾りも彼がやったのだろう、私の驚き具合に満足したらしく、その表情は心なしかいつもより嬉しそうに見えた。

「さぁさ、こちらへ」

 促されるままに席に着く。そこは辺りを見渡せる席で、彼なりの配慮なのかもしれない。
 そんなことを思いながら、テーブルに置かれたメニューを開く。バータイムではお酒をはじめとするドリンクのメニューがメインだが、この時間帯のメニューはコーヒーを主として、フードメニューも豊富に取り揃えられている。今までとは違う種類のメニュー表に目を見張っていると、そんな私を見たマスターがこちらの様子を伺いに来た。

「どうかされましたか?」
「あぁ……いや、普段とはメニューが違うなぁって」
「そうですね、確かにバータイムとはラインナップは変えているので」
「それが何だか新鮮で」

 他愛ない話を交えながら話をしていると、ふと目についた物が一つ。
『ハロウィンメニュー』
 首をかしげてこれは? と聞いてみると私のメニューを覗き込んであぁ、と一言。

「ハロウィン限定のメニューですね。期間限定の」

 薄々わかってはいたものの、多種にわたるその限定メニューに思わず目を見張る。

「皆さんに少しでもハロウィン気分を味わってもらえたらと思いまして。普段いらっしゃる時とは違って、色々面白いでしょう?」

 私の考えを読んでいるのか、くすくすと笑うマスター。昼間に見る彼の様子もいつもと雰囲気が違っていて、そういう意味でも新鮮だなぁとぼんやりと考える。
 そんな話を聞いたら、せっかくだしとそのメニューを改めて見てみる。確かにハロウィン限定ということもあって、選ばれている写真にも色んな妖怪に模したものになっていたり、ハロウィンといえば、といったようにカボチャ料理も多岐にわたる。

「お決まりになりましたか?」

 顔をあげて彼と視線を合わせれば、にこりとこちらに微笑んでくれる。小さく頷いて、メニューを取りに来たマスターに注文を告げれば、心なしかいつもよりも誇らしげな表情をした。

「パンプキングラタンですね。かしこまりました」
「なんだか、嬉しそうですね……?」
「あっ、わかりますか? ――それ、僕の自信作なんです。ぜひ楽しみに待っていてくださいね」

 誇らしげな理由を話してくれるマスターの表情はまたいつもと違って幼く見え、こんな一面を発見した気持ちで、なんだかこちらも嬉しい気持ちになる。
 お昼間にいる人たちは、こんなマスターを見られるんだ。
 料理を作りに戻る背中を眺めながら、そんなことを思った。



 ここはバータイムにいる時とはまた違う時間の流れ方をする。私がいる時の時間帯は人が何人かいて、それぞれの会話に花を咲かせているが、カフェの時間はゆったりと流れているような感覚を覚える。外の陽気な天気も相まって、ここにいる時間はバータイムの時とは違うが居心地の良さを感じる。
 料理の前に、と頼んでいたコーヒーもなかなかだった。カクテルを作っているマスターしか見たことがなかったが、飾り物かと思っていたサイフォンを使い、香り豊かなブレンドは寒さにさらされていた身体を溶かしていくようで、もしかして彼は魔法使いか何かなのではないかと一瞬でも考えてしまう程だった。
 ぼんやりと、穏やかな時間。そしてその時間をさらに癒す存在が、ここにはある。
ーーぐぁ?
 のんびりと料理を待っているころ、足元でこの店のマスコットが私の方へと近づいてきた。

「こんにちはフランソワ。お邪魔してます」

 話をしても伝わらないだろうな、と思いつつも話しかけてしまうのはそのうるうると何かを訴えてくるような可愛らしい瞳のせいだろう。私が話しかけると嬉しそうにしっぽをぱたつかせるから、あながち私たちの言葉が伝わっていないとも限らないなと考えてしまう。
 そんなフランソワだが、今日はいつもと少しだけ違う。

「おまたせしました――あっ、気づきました?」

 その様子に驚いていると、タイミングよくやってきたマスター。彼は驚く私とその視線の先の正体に気づき、嬉しそうに笑う。

「パンプキンフランソワ、可愛いでしょう? 常連さんがせっかくだから、って作ってくれたんです」

 そう。普段は真っ白な毛並みで私たちを癒してくれるフランソワは、カボチャの衣装に身を包んでいる。しかもそれを楽し気に、嬉しそうに着ているのだから驚いてしまうのも無理はないはずだ。だってそもそも、アヒルの仮装なんて聞いたことないし。

「サイズもぴったりで、フランソワも気持ちよさそうにしているのでハロウィン期間中はこのままでもいいかなぁって」

 様々な部分で驚かされるこの店内。これ以上驚くようなことが続きそうで改めて内装を見回す。そわそわと、落ち着きのない私を見て何を思ったのか、マスターはちょっとだけ苦笑をした。

「色々変わっていて、驚いちゃいますかね。せっかくのイベントだから、張り切ってまして」
「あぁ、いえ。すごいなぁって」

 こういう時に上手い言い方ができない自分がもどかしい。もっとちゃんとした言葉で伝えられれば、と思うのに伝えられない自分のもどかしさがどうか伝わりませんように、と願うことしかできない。
 そこでふと、疑問がわいた。

「あの、」
「ん?」
「バータイムも、何かされるんですか?」

 気になったのは、私が普段行く時間――バータイムのこと。カフェの時間限定だったらいやだなぁ、せっかくだからバータイムでも何かあったらいいのに、と思っていた私の心を読んだのか、マスターはもちろんありますよ、と頷いた。

「バータイムではまた別の催し物を考えてますよ。僕も仮装とかさせてもらおうかなと」
「仮装……」

 彼が何に変わるのか、想像する。
 狼男? 確かに耳とか付けたら可愛いだろうな。
 フランケンシュタイン? 機械の模様とかまでこだわりそう。

「気になります?」
「はい、とても」

 ぐるぐると予想をしていれば、そう言ってもらえてうれしいですと微笑んでくれる。

「気になるのであれば、ぜひ」

――数日後のバータイム、お待ちしております。
 にっこり微笑むマスター。ここまで彼にとっては想定済みだったのかもしれない。

「さすがだなぁ」
「ふふっ。さぁ、せっかくのグラタンが冷めないうちに」

 どうぞ、お召し上がりください。
 いつもと違うカフェでの出来事。仕事が嫌だと思う私の心のご褒美が、一つ増えた気がした。

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