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近世百物語・第八夜「白い手のこと」

 多くの人が体験する〈金縛り〉と言うものに出会ったのは、記憶している限り一度しかありません。中学生位の頃、自分の部屋で寝ていると、夜中に目が覚めても、身体が動かなくなり、そのまま声も出なくなりました。
——ただの金縛りというものだ。
 と思い、様子を見ることにしました。
 すると、何だか分からないものが、白い手を伸ばして首を締めて来たのです。
 白い手は、肘くらいまでしかなく、その先はだんだんに透明になっていて、実体はハッキリとしていませんでした。でも、確実に首を締めています。そして、その手の実体が近付いて来る気配だけが、次第にハッキリして来ました。
 白い手の正体は分かりません。いずれにしろ言葉によって作られている存在ですので、正しい言葉を呪文として唱えることによって、退散させることが出来ます。この方法は、裏の聖地に何度か通い、アイヌ人のシャーマンに教わったものです。
 この時も、その呪文と呼ぶものを使って退散させ、やがて金縛りもとけました。
 大人になってからも白い手はかなり見ました。しかし、この時が最初で、しかもとても不快でしたので、それ以後、白い手を見るたびにムッとするようになりました。

 ある時は、深夜の踏み切りで白い手に足首を掴まれ、ムッとして、それを蹴りながら呪文を使いました。一緒にいた人達の目には、私の足もとから人魂が飛んだように見えたそうです。
 その時、
「昨日、誰かここで死んだろう?」
 と、聞くと、地元の友人が、
「女の子が自殺した」
 と言っていました。

 また、ある時は、終電に乗っていると向かいに座っていた若い女の人の髪の毛を、白い手が窓の外から握っていました。ジッと睨むと白い手は、慌てて手を放して消えてしまいました。時速六十キロ程度で走行している電車の外を、平行して飛んでいたことになります。
 この類の物は……基本的に物理的な実体を持たないので……どんなに高速で移動していようと、密閉された場所であろうとも無関係に認識されます。
 不自然なものが……ごく自然に見える状態で存在しようと努力しているようにも見えて……何だか可笑しくもあります。恐ろしさよりも好奇心の方を刺激してしまい、時々、観察してしまいます。

 大阪に住み始めた頃、無数の小さな白い手が、部屋の天井を引っ掻く現象に遭遇しました。 霊符を貼って結界を作っていたので、やつらは部屋に入ることが出来ませんでした。朝になって、白い手は消えました。天井に無数の引っ掻き傷が残っていました。その時、あれは、物理現象を引き起こす存在なのかについて少し考えさせられました。後で霊現象を調べると、古い文章の中に古戦場跡とありました。これが原因かも知れません。

 世の中で目撃される多くの白い手は……たとえば、湖で人の足を掴んで溺死させたり……ろくな存在ではありません。ただ、人を動けなくするだけの現象にすぎないのですが、怖しく思って立ち止まると危険な目に遭います。
 人の手足を掴むことを、まるで仕事にでもしているのでしょうか?
 白い手に掴まれる時、霊体の手は半分実体化しています。捕まれた方は、半分霊体化していますので、ちょうど触れるのです。これなら掴まれた時に殴れます。手足は当てられるのです。白い手に掴まれると、その部分だけ体温が下がります。下がると言うか、その周りの空間ごと冷えた感じがするのです。
 播磨の国には、祓いの時、この白い手に掛ける武術の技があります。人で練習する関節技の形で残っています。

 また、〈毛玉様〉と呼ばれる妖怪の一種も白い手を持ちます。ですが、それは暗闇の地面にころがっている物です。湖で人の足首を掴んだり、ましてや電車の窓の外から人の髪の毛を掴む類の器用な存在ではありません。
 多くの人たちは、白い手の類を認識することが出来ないようです。掴まれたり、背中を押されたりしていても気付いてはいません。ただ体が動かなくなるだけです。そして、何となく怖しい思いをしてハッとするのが共通の認識のようです。その内の何人かは、溺れたり、事故で怪我をしたり、あるいは命を落としてゆきます。
 人の首を絞める白い手は特に不快です。

 深夜の琵琶湖の波間に、月明かりでゆらゆらしている白い手も、人を溺れさせようとして呼んでいるようで不快です。いったい、何人の尊い命を奪ったことでしょう。そしてこれから何人の命を奪うと言うのでしょう。
 普通の幽霊は、直接的な行為で、人を殺したりすることが出来ません。たとえば包丁を握って刺したりはしません。そのような直接的な殺人は、霊界の掟に背くとして、討伐の対象になります。霊界での討伐は、霊界の連中の仕事です。人間界の討伐である祓いは、われわれのような播磨陰陽師の仕事となります。これらは〈産霊うぶたまの神の掟〉と呼ばれ厳密に守られています。
 古い文章の中にも、祓えないような強い霊体がいたら、
「産霊の神の掟を守れ」
 と説得して祓う場面が出てきます。
 しかし、幽霊のような単純な霊体は、生きている人の手足を掴んで動きを止めるくらいのことは許されています。やつらは、ひっそりと同じ場所に住んで、人が来るのを待ち構えているのです。

 京都の御泥池を深夜に車で通った時も、一緒にいた人達には言えませんでしたが……白い手が、池の真ん中から、おいでおいでをしているのを見ました。それはまるで、合成写真のような、奇妙な印象がありました。ここを通る最終バスは〈深泥池みどろがいけ〉の表示に赤いライトをつけていて、とても不気味です。
 何か不思議なものが見えたからと言って、見えない人に言っても恐怖心をあおるだけなので言わないことが多いです。言っても仕方がなかったりもします。
 しかし、白い手の多くは、とても不快な存在です。まだ、全身のある幽霊の方が親しみやすいと思います。
 そんな白い手を見るたびに、
——いつか、出来れば捕まえて、文句を言ってやりたいものだ。
 と思っています。

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