近世百物語・第八十九夜「コックリさん」
コックリさんは正式な霊術には含まれていません。正式な伝承も何もありません。ただ整理されていない、しかも、それほど古くないやり方が、子供たちの間で流行っていただけです。何の修行もしない子供にでも出来る程度の技法ですので、〈霊術〉と呼ぶより〈子供騙し〉と呼んだ方が正しいのかも知れません。
私がまだ小学生の頃はコックリさんが大流行していました。当時はコミックの『恐怖新聞』や『うしろの百太郎』なんかが流行っていましたし、テレビでは『あなたの知らない世界』が放送されていました。だから、かなり霊的なことがブームになっていました。
ある時、コックリさんをやって見たくて、方法を祖母に聞きました。
すると祖母は、
「あれは明治の頃にアメリカから伝わったもので、霊術と呼ぶほどのもんじゃないわな」
と笑っていました。
祖母は西洋人のことを〈霊的原始人〉程度にしか思っていないらしかったので、
「余所の国から来た霊術など、おかしくて試すことすら無意味じゃ」
と言っていました。
コックリさんについて調べると、
「1884年(明治17年)に伊豆半島沖に漂着したアメリカ合衆国の船員が、自国で大流行していたテーブル・ターニングを地元の住民に見せたことをきっかけに、日本でも流行するようになった」
と、書かれたものを見つけました。
その文章によると、
「当時の日本にはテーブルが普及していなかったので、代わりにお櫃を三本の竹で支える形のものを作って行なった。お櫃を用いた机が、コックリコックリと傾く様子から〈コックリ〉や〈コックリさん〉と呼ぶようになり、やがて〈コックリ〉に、狐・狗・狸の文字を当て〈狐狗狸〉と書くようになった」
と書いてありました。
また、
「韓国でもコックリさんは分身娑婆と呼ばれ、主に子供の世代に浸透している。朝鮮半島のコックリさんは、日本の統治時代に日本で流行したコックリさんが、朝鮮に流入しはじまった」
とありました。
また、何だか分からないものを〈ムクリコクリ〉と呼びます。
これは辞書に、
「元寇の時、蒙古・高麗軍が日本を襲ったことを、蒙古高句麗の鬼が来ると言って怖れたことから、転じて子供の泣くのをとめるのに、ムクリコクリ鬼が来ると脅す風習となったと言う。怖ろしいもののたとえ。コクリムクリ」
とあります。これが、コックリさんの語源であると言う説もあります。これと同じ名前の妖怪もおりますが、こちらは〈コックリさん〉とは違うものです。いずれにしても怪しげなものであることには代わりありません。
さて、私が小学生の時、何度かコックリさんがらみの事件がありました。昼休みに遊んでいた女の子たちが、コックリさんをし出して、ひとりが口から泡を吹いて倒れたのです。クラスが大騒ぎになりましたが、その子はすぐにムクッと起き上がり、何事もなかったように、
「どうしたの?」
と尋ねていました。騒ぎにかけつけた先生も何が起きたのか分かっていないようでした。それからも、何度か他のクラスでコックリさんがらみの事故が起きました。
その頃は他の学校でもおかしくなる子が出たりして、当時は日本中で色々とあったようです。それで、まもなく、学校でのコックリさんは禁止になりました。しかし、自宅で勝手にコックリさんをする子供や若い女の子たちがいたのです。ですので、あの頃は祖母は大忙しでした。
「コックリさんに憑依されたから祓って欲しい」
と言う密かな依頼が、かなりあったようです。今とは違っていて、その頃は憑依されること自体、恥だと思われていました。ですので、密かに依頼される場合がほとんどでした。
しかし、祖母は、
「そんなもん、ほっとけばいずれ治るもんじゃ」
と言って、なかなか祓おうとはしませんでした。そんな中で、一度だけ祖母の祓いについて行ったことがあります。祖母は現場につくと、憑依されたらしき女性を前にして、祓詞を唱えました。そして、エイと気合をかけた時、すでにその女性は正気に戻っていました。
祖母によると、
「あれは、コックリとか呼ばれるものではない。ただの野狐の類なんじゃ」
と言っていました。
そして、
「簡単なものは祓詞ですぐに落ちる」
と言っていました。祓詞については不幸のすべて・第三十五話で説明しています。また、野狐は、いわゆる〈狐付き〉現象の一種です。これについては近世百物語・第六十七夜に書いています。
しかし、
「コックリは、ただの思い込みで、霊現象ですらない」
と祖母が言っていました。ただの思い込みは、ほっておいてもいずれ勝手に消滅します。
そして祖母は、
「コックリが霊現象だとしたら、それは、とても低俗な悪霊の一種じゃ。それが付くと悪い臭いがする」
と続けました。
私が中学生の頃に一度、コックリさんに参加したことがあります。その時は、近くに立って馬鹿にして見ていた人が、突然、悲鳴をあげました。幽霊のようなものを見たそうです。しかし、私は何も感知しませんでした。と言うより、コックリさん自体が、やはり霊現象ですらなかったのです。それはどちらかと言うと、ただの思い込みに近い現象でした。ある種のトランス状態のような感じです。そして、幽霊を見た人も、ただトランス状態に入って幻覚を見ただけのようでした。もし、それが本当の霊現象ならば、その場にいる私が感知出来ないことなどありません。それは霊ではなく、幻覚やトランス状態を感知しているのですから、やはり霊現象ではないと思いました。しかし、すべての〈コックリさん〉を観察した訳ではありませんので、やはり霊的な現象もあるかも知れません。
私がもっと幼い頃に神隠しに合った時、狐の面を付けた子供と遊んでいましたが、その子も、やはり、
「コックリなど知らない。あれは仲間ですらないしな」
と言っていました。ちなみに、このお話は近世百物語・第四十夜にあります。
それから、何度か、コックリさんの現場に出会いましたが、霊的でない以上、ただの遊びに付き合っただけのことで、とりたててここに書くような出来事はありませんでした。
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