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播磨陰陽師の独り言・第530話「トラウマはなかった〈前〉」

 皆さん、何かのトラウマに悩まされていませんか?
 トラウマって何なんでしょうね。トラウマは日本語では〈精神的外傷〉と訳されます。心の傷のことです。〈心的外傷症候群〉とも訳されます。
 不思議なことに、西洋文明が日本に入って来た明治維新の前の時代、つまりは江戸時代には、トラウマになる人はほとんどいませんでした。さらに言うと、日本語にはそもそも〈トラウマ〉にあたる言葉も概念もありません。これはトラウマが新しい概念で、日本が西欧より遅れているからではありません。トラウマそのものがなかったのです。
 明治初期の写真の中に、晒し首と記念撮影した物があります。晒し首は三尺高い棚の上に、人間の生首を晒しているものですが、その横でポーズを取って撮影しているのです。
 当時の写真はかなり長い時間、じっとしていなければ撮影出来ませんでした。と言うことは、本物の人間の死体の横でポーズを決めていたと言うことになります。しかもその表情は心なしか嬉しそうです。生首を見たからと言ってトラウマにはなっていそうもありません。それが普通の光景だったのです。
 江戸時代は公開処刑が多く、それを見に行く人も多かったと言います。よく時代劇で磔に集まって無実の罪人を助けるシーンがありますが、よく考えると人の死を見物する弥次馬の多いことに驚きます。たまに仇討ちがあると、それを見物する人たちで溢れたそうです。赤穂浪士の仇討ちには、屋敷の周りにお弁当を売る店まで出たと記録に残ります。弥次馬は人が殺されるところを見物しに集まったのです。それでも、誰かがトラウマになったとは聞いたこともありません。
 戦後に兵隊だった人々がトラウマに苦しんだと言う話もあまり耳にはしません。むしろ悪いことをしたから後悔している的な苦しみはあっても、戦うことがトラウマにはなっていないのです。
 これが外国の話ですと、戦うことがトラウマになって、たとえば夜中にふと近づいて来た家族を殺してしまうと言った悲惨な事件は枚挙まいきょいとまもありません。外国人はとにかくトラウマが多いような気がします。この戦争と言うのは銃で撃ち合っていた時代のことです。続く。

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