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播磨陰陽師の独り言・第三百四十四話「はじめての飛行機旅行」
はじめて飛行機に乗ったのは、YS11と言う機体でした。あまり作られていませんが、国産初の飛行機です。まだジェットではなく、確かプロペラ機でした。
大阪の伊丹空港からジェット機で羽田へ飛び、乗り換えて帯広までプロペラ機に乗りました。はじめての飛行機。しかも窓側の席に、多少、興奮して外を眺めていました。太平洋の海面しか見えない景色に飽きて来た頃、不思議な白い線が見えました。海の上に、北から南に真っ白な線が引かれているような感じです。
——何だろう?
と、ジッと見ていると、正体が分かりました。
ただのトロ箱でした。しかも発泡スチロールのやつです。それが何キロも何十キロも連なって、どこかへ流れていたのです。もちろん違法に捨てられたトロ箱です。
トロ箱と言うのは、獲った魚を入れて置く箱のことです。捨てた後はただのゴミです。それが太平洋の真ん中を目指した、永遠に流れていたのです。
さて、この時、実家へ帰ったのは祖母が亡くなったからです。結局、葬儀には間に合いませんでしたが、火葬には間に合いました。
焼き場に着いた時、ちょうど、祖母の骨が出てきたところでした。一番年下の従妹《いとこ》が、まだ中学生で、彼女が大きくなってからの、はじめての出会いでした。この従妹のことは、赤ちゃんの頃しか知りません。叔母の後ろに隠れて、こちらを見ていたのが印象的でした。
この従妹は、やがてプロの漫画家になりました。私がゲーム・クリエイターであるのを知っていたので、自由な職業に憧れていたそうです。
従妹が漫画家としてデビューした後で、叔母から、
「あんたが好き勝手なことをするから、あの子も真似して漫画家になってしまった。家にいれば何の不自由もなく暮らせるのに、徹夜の仕事なんて考えられない」
と、時々、小言を言われました。
従妹は大きな会社の社長令嬢だったので、叔母にとっては困ったことだったようです。
祖母の葬儀から大阪へ帰る時、やはり羽田で乗り換えて、伊丹空港へ向かいました。しかし、帯広から羽田へ向かう便が遅れたため、大阪へ向かう飛行機に乗れませんでした。しかし、航空会社が用意してくれていた代わりの飛行機に案内されました。何と、それはファースト・クラスでした。こうして、はじめて乗った飛行機旅行はなかなか快適な乗り物でした。
* * *