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播磨陰陽師の独り言・第474話「倭心を固めなす」

 前回の最後に、
倭心やまとごごろを固めなす」
 と書きました。いったい、何のことなんでしょうね? これは江戸時代、『古事記伝』を書き表した本居もとおり宣長のりなが公の言葉です。
 日本人の日本人らしい心を〈倭心〉と呼びます。よく勘違いされる〈大和魂〉とは別な考え方です。こちらは国民を戦争に導くための思想のひとつにすぎません。
 倭心を固めなすと言う言葉には、日本人として日本人らしい心を強くすると言う意味があります。
 本居宣長公は神道を復活させた人物です。よく言う〈古神道〉と言う言葉は、戦時中の国家神道とは違うと言う意味で使われれいますが、正式には〈復古神道〉と言います。ここで言う〈復古〉とは昔にかえることです。

 戦国時代、わが国はたび重なる戦乱の中にあって神道は滅びかけていました。もちろん、仏教は廃れません。と言うのは仏教には僧兵制度があって、戦いながら仏教を広めていたからです。神道は平和的なので誰かに守ってもらうしかありません。しかし、戦争の最中に誰が他人を守ってくれると言うのでしょうか? ちなみに織田軍が比叡山焼き打ちした時は、仏教関係の建物や人々のみを殺しています。山にあった神社や神官たちは無事でした。しかし結果として江戸時代がはじまる頃には、神道はすっかり仏教の影に隠れ、目立たない存在になっていました。
 そこで現れたのが本居宣長公。彼は最初に漢文である古事記を江戸かなまじりの文章で復活させた『神代正語かみよのまさごと』を発行しました。それから約三十年研究して発行した解説書『古事記伝』が爆発的にヒットし、神道そのものを復活させたのでした。
 やがて明治維新に神仏が分かれて神道のみとなり、知らない内に陰陽道が混じって〈神仙道〉と呼ばれるようになりました。そしてこれが、今は〈古神道〉と呼ばれるようになった訳です。
 戦いの時代が終わった後、本居宣長公は、
——戦争をやめて平和を取り戻そう。
 とは叫びませんでした。
 平和だけを主張しては、戦争があることばかり前提になってしまいます。
 このことは今でも言えることで、いつまでも、戦争のない平和な時代を……と主張したり、戦争反対と叫んでも意味はありません。それでは無意識の内に戦争することが前提となってしまうからです。また、平和を祈っても結果は同じです。〈平和がない〉と言う前提が未来を混乱に導くだけです。これが世界中の人々が平和を祈っても戦争が終わらない理由です。これではいつまでも平和は来ません。
 戦争の時代を嘆いたり悔やんだりもせず、それよりも本居宣長公が昔にやったように、
——ここらで日本人らしい心を固めなおそう。
 と主張し、そのために各々が必要なことをした方が、世界は平和になると思うのですが……。

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