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近世百物語・第九十一話「悪霊の壺」

 私は〈奪衣婆だつえばつぼ〉と呼ばれる霊器を持っています。これは悪霊を入れて置くための壷です。悪霊を入れる霊器はどのような形だとしても全体的に〈奪衣婆の壷〉と呼ばれています。だから自分の持っている壷をそう呼んでいます。しかし、私の持っている壷の彫刻は、奪衣婆と言うより〈懸衣翁けんえおう〉のようです。表面にあるのは、お婆さんの彫刻ではなく、長いひげのはえたお爺さんの彫刻だからです。奪衣婆のことは辞書に、

——三途の川のほとりにいて死者の衣を奪いとる鬼女。衣領樹えりょうじゅの下で待ち、死者の衣をはぎとって懸衣翁に渡すと、懸衣翁がこれを衣領樹にかけ、枝のしなり具合で罪の軽重を定めると言う。

 と書いてあります。この老婆は三途の川の住人です。懸衣翁は老婆から亡者の衣をもらう老人です。いずれにしても貧相で、まるで厄病神か貧乏神のような雰囲気があります。
 この霊器は七つ道具のひとつです。元々は江戸時代の印籠いんろうを中国でコピーした物のようで、ちょっと雰囲気の違う般若はんにゃの根付けがついていました。彫刻された形が正確ではない以外、わりと良く出来ています。何個目かの壺ですが、以前に使っていた物よりずいぶん気にいっています。前まで使っていた物は、どれもただの木箱のような物でしたので……。
 さて、これを、どんなことに使うのかと申しますと、何でもかんでも怪し気な物は一時的にこの壷の中に格納します。

 ある時、祓いと処分を頼まれた不吉な心霊写真を入れて持ち帰ったことがありました。写真自体はそれほど不気味ではありませんでした。写真を撮ってからと言うもの、
「撮影者の近くで不吉なことばかりが起きる」
 と言う、いわく付きの物でした。その手の物は、直接、カバンに入れて持ち帰る訳にもゆかないので、必ず容器が必要になります。
 何の準備もしておらず容器もない時は、白い紙に包んで折り畳んで持ち帰り、その後、これらの容器に移します。
 怪し気な物は、種類によっては悪い波動を持っています。触った人に嫌な気分や厄をなすことが多いので、まずは、こちらの安全を確保すると言う意味です。もちろん、大半は、ただの思い込みですが、安全の確認も出来ていない物を気軽に扱う気にはなれません。うかつに扱えば、命取りになる可能性もあるのです。

 また、ある時は、どこかの新興宗教の関係者からまわって来た、基準をクリアしていない種類の、適当に作られた霊符がありました。
「不気味だし、何か悪いことがあっても嫌なので処分して欲しい」
 と言われ、やはり、この壷に格納して持ち帰りました。低俗な種類の霊体である〈野狐やこ〉に騙されて作る種類の霊符には、このような物が多くあります。野狐については近世百物語・第六十四夜に説明がありますので、そちらをご参考に……。
 それらが霊的にどうのこうのと言うのはさておき、それらには不吉な印象があり、そして不気味です。まるで嫌な人から来た嫌がらせの手紙を受け取った時のような軽い嫌悪感が伴います。見ているだけでブルーになりそうです。だから作られた目的に反してですが、
——かなり霊的な力があるかも知れない。
 とも思います。本来は、良いことに使われる願いを込めている筈ですが、意図とは別に、持った人や見た人に不吉な嫌悪感を与えてしまうのです。そう言う種類の霊符をわれわれは〈擬符まがいふ〉と呼んでいます。〈まがいもの〉の〈まがい〉のことです。本物と紛らわしい種類の偽物と言う意味です。
 また、短く〈禍符まがふ〉と呼ぶこともあります。これは〈まがまがしい〉の〈まが〉と言う意味で不吉なものと言うことです。これらの禍符はやがて焼却される運命を持ちます。祓いを受け焼却されるまでは、壷の中に置くのです。

 また、ある時は、祓いの現場で悪い霊を捕まえて和紙にその名を書いて折り畳んだこともあります。霊的なものは、人に名を付けられることを極端に嫌います。その時は、予め命名して封じ込めるための用紙を作り、祓いをして準備していました。そして、名前を付けて筆で名を書いて、清め折りと言う折り方で和紙を折り清めたのです。清め折りは神道の基本です。おみくじなどを折る時に使う折り方です。手順としては下から上に半分だけ折り上げて、紙の手前になった部分の半分を下に折ります。最後に残りの部分を下に折って清め折りは終わります。
 紙を折る間、心の中で、あるいは、口に出して、
「祓い給え清め給え」
 と、ずっと唱えて行います。折り終わったら右手を上にして普通に結びます。これを〈清め結び〉と呼びます。左手を上にすると死に結びになるので注意してください。
 霊符のたぐいは清め折りと清め結びが基本です。霊的な悪いものはこの方法によって封じ込められてしまいます。霊的に悪いものを封じ込めるのは虫を捕まえることに似ています。飛んでいる虫を紙で包んで捕まえてゴミ箱へ入れるような感じで行います。

 また、ある時は、祓いに行った現場で、祓いながら封印の霊符を書いて星形に紙を折ったことがありました。これは霊的に強いものを封印する方法です。この時は命がけでした。
 その時は、

——木火土金水きいつかみ神御魂かむみたま、五つの御魂みたまよ、さきわい給え。

 と言う祭文さいもんを使って封じ込めます。
 これを使って憑依したものを封じ込められるのかどうかは別として、霊的な世界は〈想いの世界〉なのです。
 憑依したもの自体が、
——自分はその術に封じ込められた。
 と、観念してしまったら、その現象は終わります。それがたとえ、ただの思い込みであったとしても、思い込んだ本人が儀式を心から信じたら終わるのです。たとえば武術だったら、敵が負けを認めたら、それで勝ちます。現実に勝負がついていなくても、相手さえ負けを認めれば終わるのです。心が負ければ必ず動きは止まります。言葉も止まり、攻撃も次第に鈍くなるのです。すると、そう言ったものにエネルギーを供給することが出来なくなって現象自体も止まるのです。
 霊的なものを封じ込める奪衣婆の壷に入れると、死人しびとの規則によって観念し、大人おとなしくなります。壷はそのための霊器にすぎません。そして壷は、絶えず祓い清めと、幽魂ゆうこん安鎮あんちん秘詞ひじの波動を受けながら、それ自体が何年もかかって次第に成長してゆく霊的器物なのです。霊的器物は何種類かあります。七つ道具ではありませんが、いくつかを組み合わせて使います。たとえば祓い鐘、祓い刀、神楽鈴と言ったものが霊的器物の中にありますが、それについてはまたいつか……。

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