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近世百物語・第四十夜「小さくて大きな祠」
幼い頃住んでいた家の近くに小さな公園がありました。ブランコとスベリ台だけがあり、あとは小さな祠がひとつ。祠に遊びに行くのが好きでした。
道祖神でも祀っているのか、祠の正体は幼い私にとって知る由もありません。ただ遊びに行くと、鳥居の横に友だちが座って待っていたのが嬉しかっただけです。
友達の名は知りません。顔も見た記憶がありません。と言うのは、その子がいつも狐の面をつけていたからです。会うと秘密の場所に案内してくれました。
祠は、幼い私にとって大きさの理解出来ない不思議な場所でした。
私には生まれつき、空間の大きさが把握できない欠点があります。物の大きさや距離が感覚的に分からないのです。祠のサイズが変化していたとしても、不思議に思うことはあっても、それ以上の疑問を持ちませんでした。
「幼い頃には不思議なものがたくさんある」
と祖母に聞かされていたので、
——それは、そう言うものだろう。
としか思っていなかったのです。
秘密の場所は、ふたつある小さな赤い鳥居の間を右へ曲がり、横道の奥の鳥居を抜けた所にありました。でも、その友達がいないと、最初の鳥居を潜ってもすぐ祠になっていて、ふたつめを見ることは出来ません。もちろん、横道の奥の鳥居に行き着くことも出来ませんでした。
横道に入ると、そこは広い森でした。見たこともないほど大きな森の景色の中に、公園近くにあった人家は見えなくなりました。一本一本の木は、大人が何十人も手をつないで一周するくらいの太さでした。天高く伸びた木々は先が見えません。そんな中に少し広くなっている場所がありました。私は広場に座り、
——こんなに大きな森が、こんなところにあったんだ。
と感心していると、友だちは、
「この森に入るには、最初の鳥居に入る時、歩き方を変えないとダメなんだよ」
と、言いました。
それが何のことなのか、私には分かりませんでした。いつもその子の後ろについて、不思議なケンパをしながら入って行きました。
「ケンパ、ケンパ、ケンケンパ」
片足飛びで鳥居を潜りました。そして呪文を口の中で唱えるそうですが、呪文は教えてもらえませんでした。
「この鳥居をひとりでケンパして通ると、二度と帰って来れなくなるんだ」
それが教えてくれない理由でした。
いつもは友だちがいました。ただ一度だけ奥の鳥居を潜った先の岩の前で、別の年上の子が迎えてくれたことがあります。
年上と言っても、自分より少し上くらいだと感じただけです。まだ、五、六歳くらいだと思います。その年上の子が岩に腰掛け、水の入った薬ビンにビー玉を入れるのを見せてくれました。
そして、
「よく見ているんだ。ここにビー玉を入れて蓋をすると……」
と言いながら蓋をして、激しく上下に振ったのです。しばらく振っていたと思うと、パッと目の前で止め、
「ビー玉は何個ある?」
と聞きました。
私は、
「いっこ」
と、答えました。すると友だちが楽しそうに笑いました。
「まだまだ……」
囃し立てます。
「さて、この次は……」
と、また、激しくビンを振りました。
「何が起きるんだい?」
と、ふたりに聞きました。しかし、ふたりとも、
「まだまだ……」
と、囃し立てるだけで、何も答えてはくれません。ポンとビンを投げて受け止めると、目の前に差し出しました。ビンの中のビー玉はふたつに増えています。
そして、
「ビー玉の子供、産まれた」
楽しそうに笑いました。
また、同じことを繰り返すと、今度は三つになったビー玉を見せ、
「もっともっと産まれたら、ビンの家は小さいな」
と笑って、岩の上にビンを置きました。
しばらく笑っていたと思うと、突然、
「ビー玉、ないない」
と叫びました。
「えっ?」
聞き返すと、もうビンの中は水だけで、ビー玉はどこかへ行ってしまいました。
ごそごそとビンをポケットに戻し、反対側のポケットに手を入れて、
「今度は、これがあるよ」
と言いながら、手の中に、何かを握り差し出します。開いた手には、厚紙をナイフの形に切って銀紙を貼っただけのオモチャが握られていました。
「これは、なんだい?」
と聞くと、
「よく切れるナイフ……」
と笑いながら、近くの切り株に向けてナイフを投げると、コンと音がして刺さりました。厚紙の、銀紙を貼っただけに見えるナイフが切り株に深く刺さっていたのです。
友だちはナイフを抜いて見せてくれました。手の中のそれは、どう見てもただの厚紙です。そして切り株には傷ひとつありません。
不思議に思って首を傾げていると、
「この世には、誰も知らない秘密があるんだ」
とだけ言ってクスクス笑いました。
何度かその秘密の場所に行き不思議なことを体験しました。楽しく遊んでいただけで、特別なことがある訳ではありませんでした。
ただ、時々、そこで一時間ほど遊んで帰ると、
「もう、三日くらい帰っていないけど、どこへ行っていたんじゃ」
と、祖母に叱られました。当時は母親が入院していたため家にいてくれたのです。
祖母に事情を説明し、
「一時間くらいしか遊んでなかったよ」
と言うと、
「まぁ、お前は、神隠しに合いやすいで、心配はしとらんが……」
と言って呆れていました。
後で聞くと、最大で一週間くらい、いなくなったことがあるそうです。祖母は理由を理解していたので、騒ぐこともなかったと言います。
「その内、帰って来るじゃろう」
と言っていたそうです。父親は仕事が忙しく、時々しか家に帰って来ませんでした。だから知らなかったのかも知れません。
私にとっていなくなっていた時間は、ほんの数時間の出来事でしたが、あの森に、時々帰りたくなります。
* * *