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近世百物語・第二十二夜「神と呼ぶもの」
神としか呼ぶことの出来ない存在、神と言う言葉でしか表現出来ない存在に出会うことがあります。宗教に傾倒している訳ではないので、それが何々と言う神聖な名を持つ神で、その神の言葉を聞いたとか、その神の姿を目にしたと言うつもりはありません。第一、播磨陰陽道は宗教になったり、信者をつのることを禁止しています。
人が〈神〉と呼ぶ存在は、人の都合によって歪められ、表現されることが多いものです。出会ってみて分かったのですが、実在する神そのものとは無関係だと思います。神はいます。ただ、人を救ってくれる神がいるかどうかは分かりません。
——神がいるから、人に厄が降りかかることもあります。神がいるなら、どうしてこんな酷いことになるのだ?
と泣き叫ぶ人がいます。
神がらいるからこそ、そんなに酷いことが起きる、と、言うのが現実なのかも知れません。もし、いなければ、あんなことは起きないのに、と、思うことがしばしばあります。
神のやることは大雑把です。大きな手で小さな生き物を扱うので、潰してしまうことが多いのです。これは、言うならば、箸でアリを摘むようなことです。箸の先が細ければ、上手くアリを掴めるでしょう。しかし、神の持つ箸は丸太くらいの太さをしています。それをアリの群れにおろして、たった一匹のアリを掴もうとするのです。まわりのアリは、皆、潰れて死にます。そんなお話なのです。
神のことを〈神様〉と呼ぶのも間違った表現であるようです。神は〈かみ〉と呼ぶのが正しく、〈神〉と呼ぶ表現が最高の敬称です。〈神〉と呼ばれる敬称に、本来、人間に与えられる筈の敬称であるべき〈様〉を付けて呼ぶのは、意図せずに卑しめているようで正しい表現とは呼べません。とは言うものの、つい、神さまと言ってしまうのは人の世の常ですが……。
前置きが長くなりましたが、その神と呼びようのない存在に、何度か出会ったことがあります。
はじめて出会ったのがいつだったのか、ハッキリと覚えていません。物心がついた頃から、すでにその存在に出会っていたようでもあり、随分、成長してから、はじめて出会ったような気もします。ただ、その存在に接触すると、大量の情報を頭の中に送られてしまい、混乱するのです。この時に得た情報を再現し検証して、私の中の、人ではないものから得た知識が作られているのです。
神から得る情報は、高速に再現される映像と音声によってもたらされます。その量の多さと複雑さで記憶が混乱し、人の持つ時間と言う概念で記憶し把握することは困難になります。
私がまだ幼く、その存在を理解出来ていなかった頃には、神は人の形をして現れていました。人の形のものだけしか分からなかったのかも知れません。時には、にこやかな老人であったり、時には、年上の女の人だったりするのです。やがて、成長するに従って、人ではない形も理解出来るようになりました。その頃から、動物に姿を変えたり、あるいは何だか分からない神聖な姿ををして現れたりしたのです。
今でも、正しくその存在を理解しきっているか?
そう聞かれると疑問です。しかし成長するに従って、霊的な現象を見分けて理解し把握しています。多くのものを見分けられるようになりましたが、神は妖怪や亡霊たちより複雑で、なかなか理解するのは困難です。
神と呼ぶ存在は、あきらかに他の霊たちより構造が複雑です。別な次元の存在であるような気がしています。すべての霊的な存在や現象を把握している訳ではないのですが、神と出会うと明らかに感覚や印象が違っています。威厳があると言うのか、出会ってしまえば自然と頭がさがる存在です。
最初に神に出会った頃は、まだ私の意識そのものが未発達で知識も少なく、理解することが出来ませんでした。
——ただ、心の中に映像として存在し、記憶されるだけの物。
と思っていました。
その時、神としか呼べない存在に、この世がはじまる瞬間の世界を見せてもらいました。そこは、霧のような、雲のような微粒子の複雑な階層を持った空間で、広さも時間と呼ぶ概念も持たない世界でした。
そしてある瞬間、微粒子同士が接触し、光が発せられました。光の誕生です。光は明滅し、時間が生まれました。固定された、時間を持たない世界に、時間そのものが発生したのです。
その時、その映像を見せてくれた神が、私の心の中にある言葉を検索し、
——時間と呼ぶもののはじまり。
と言う、かろうじて私に理解出来る配列を見つけて伝えてくれました。そして、新しい記憶として、その映像と共に心の中に書き込んでくれたのです。
その瞬間から、
——時間と呼ぶ物のはじまり。
と言う言葉を思い出すと、常にその時の映像が記憶の中に再現されます。
やがて時間がはじまった世界に〈空間〉と言う概念が生まれました。その時、光のない部分に〈闇〉が生まれました。この闇を〈ウツロ〉と呼びます。
光が当たった部分の微粒子が様々に振動し、別な光を方々に発し、複雑で奥行きのある空間が造られてゆきます。空間は、やがて闇に閉ざされ、〈宇宙〉と呼ばれる広大な空間に変化てゆきました。しかし、まだこの時は宇宙は狭いものでした。これが私の見た、宇宙とこの世のはじまりの一部始終です。今で言うならビッグバンのこもかも知れません。
たぶん、五才くらいの頃の体験だと思います。成長した今となっても、その現象を明確に、他の人に理解出来るように表現するのは難しいです。霊的なものは、説明するには難しい概念が多く含まれます。特に標準語と呼ばれる新しい言語と概念しか持っていない人に対して表現するのは難しいです。
一部の古文に近い複雑な構造と力を持った日本語で表現するならば、的確で、かつ、微妙なニュアンスを表現することは出来るでしょう。しかしそれでは一部の人にしか理解することも出来ません。
日本語を知っていれさえいれば良いと言うことにもなりません。日本語以外の言語で成長した人が、新たに日本語を学習したからと言って理解出来る代物ではないのです。それと同じように、標準語しか知らない人に理解させることは困難です。
標準語は厄介で新しい言語です。多くの人に理解出来ますが、文化的な背景を切り捨てているのです。人の心の動きを無視して作られた言葉ですので、それしか知らないと、心に問題を抱えます。
今回は少し言葉や概念が複雑すぎて、理解するのが難しかったかも知れません。これもまた、私の個性と人格の一部ですので、
——これ以上簡単に説明するだけの知性が、雁多には無かったのだ。
と思いご了承ください。
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