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近世百物語・第三十七夜「帰って来る物」
物には人の気が宿り、たとえ、失くしたとしても、やがて持ち主の所に帰って来ると聞いています。
2002年の冬に高千穂へ登った時、同行していた妻が携帯電話を失くしました。しかし、何日かして家に帰ってくると、玄関に座布団が置かれていて、その上に携帯電話が乗っていました。まるで、ちょこんと座っているかのように携帯電話が置かれていたのです。
旅の間中、携帯を時計変わりに使っていたので、最初から家に置いて行った筈はありません。
さらに、
——新幹線を降りて目的地についたら、充電する必要がある。
と思っていたので、持って行った記憶はあります。しかし、その携帯電話の充電が満タンで帰っていました。失くしてから十日後のことです。
充電用のケーブルも旅行に持って行っていました。いつの間にか携帯だけ先に帰っていて、充電までされていことになります。
その時、留守電に、親戚が死亡したとの連絡が入っていました。もし、携帯を失くしていなければ、途中で帰って来なければなりませんでした。儀式のために旅行へ行っていたので、葬儀に参加するより重要な儀式だったのかも知れません。
ペンが帰って来たこともあります。それは携帯端末用の特殊なペンです。落としたことも、落とした場所も覚えていましたが、取りに帰ることが出来なかったのです。
このペンは、とても大切にしていました。
——一度、落すと、もうそのサイズの物は手に入らない。
とか思っていると、やはり家の机の上に帰っていました。このペンは三度ほど落として失くしたことがあります。そのたびに私の元へと帰って来ました。今でも大切に使っています。
古くから、
——物には意志がある。
と伝わっています。意志が宿ると表現する方が正しいのかも知れません。
物に宿る意志は、人の言葉を得て姿を見せようとするそうで、これが〈物の怪〉の基本的な考え方です。
どんな物が、どこから帰って来ると言うのでしょう?
それについては、色々なパターンがあり過ぎて良く分かりません。ただ物の方で行き先を選ぶことも多いようで、私はそのような物をいくつか持っています。
儀式に使う烏帽子と三方は亡き師匠の使っていた物ですが、直接、いただいた訳ではありません。他の人に渡っていた物が、そこではただの飾りになっていたので、こちらに来ただけのことです。この烏帽子を被るようになってから、師匠の夢を何度か見ました。そして、色々な秘伝を夢の中で教わるようになりました。最近も、夢の中で祝詞の秘伝を教わりましたが、なかなか力強い感じの祝詞でした。
いつも使ってい祓いの鐘は、大昔にチベットで造られた御神体で、これは先輩が持っていた物です。私が鳴らすと霊的な波動に作用して音が変化します。
それを最初に聞いた先輩が、
「これを渡すよう神に言われた」
と言って渡してくれた物です。以来、様々な祓いに使っていますが、かなり効果がありました。妙な霊波があると自然に音が変化します。力強く叩くと、それが次第に清んだ音に変わり、やがて霊現象も治まってゆきます。それらも含めて、すべての物は人よりずいぶんと長生きで、何人もの手から手へと移動しながらその役割を果たしてゆくのです。物自体が、誰の手から誰の手へ移動するのかを選びながら、この世界に存在し続けるのです。
携帯電話だとか霊的な道具が帰って来るのは歓迎しますが、子供の頃、日本人形が帰って来る話を良く聞きました。いわゆる〈市松人形〉のことです。これがトラウマになっているのか、人形があまり好きではありません。
近世百物語・第二十六話にも少し書きましたが、父方の百歳を超えた曾祖母の家にあった人形は、何度、捨ててもやがて帰って来たのです。
曾祖母が入院した時に誰かに捨てられたようですが、見舞いに行った時、病室に飾ってありました。
「これ、どうしたの?」
と母が、曽祖母に尋ねると、
「ああ、あれは、夜中に歩いて来たようだ」
と、言って笑っていました。
曾祖母はボケてはいませんでした。でも、その人形を生きているように思っていたようです。
曾祖母が亡くなった時、人形は棺にいっしょに入れて焼きました。
「おばぁちゃんも、人形といっしょにいたかったんじゃない」
と叔母たちは葬儀の時に言っていました。
「大切な人形のようだったからねぇ」
と思い出して泣いていました。
しばらくは、人形の思い出を、皆で語り合っていました。話によると、いつからあったものか誰も知らなかったそうです。叔母たちですら、
——物心がついた時にはすでにあの人形があった。
と言っていました。もしかすると、故郷の五箇山から持って来た物かも知れません。だとしたらかなり古い物です。百歳を超えて亡くなった曽祖母の持ち物です。親の形見だとしたら、さらに古い物になります。曾祖母の葬式帰り道、人魂がついて来るのを見ました。
それから、曽祖母の四十九日のことです。
叔母たちの噂話を耳にしました。
「焼け焦げたあの人形が、時々、家の中に置いてあったけど、棺桶に入れた筈だよね」
「えぇ、確かに入れて焼いたわよ」
「じゃあ、なんで?」
と、叔母達の言葉を覚えています。曽祖母の人形は、やがて、ひとりでどこかへ行ったそうです。歩いて行くのを見たと言う叔母もいて、怖がっていました。
あれは、いったい、どこへ行ったのでしょう? その行方は謎のままです。
市松人形と言えば、大阪の家の近所にあった古びたアパートにも、帰って来る物があったようです。確かめた訳ではありません。そのアパートの前のゴミ捨て場に焼け焦げた市松人形が捨てられているのを見たのです。時々、捨ててありました。もちろん、同じ人形です。捨てられた日の夜の通ると、もう人形はなくなっていました。しかし、何日かすると、また、同じ人形が捨てられているのです。誰かが回収して捨てるものか、さもなくば、人形本人が帰って来るとしか思えませんでした。以前、ピンポンを鳴らす幽霊のことを書きましたが、あの幽霊はこのアパートから出て来たものでしたが……。
* * *