近世百物語・第九十三夜「青い波のたつ池」
トラウマなのかについては分かりませんが、何かの刺激を受けるとフラッシュバックのような記憶を映像として見ることがあります。何かに驚くと必ず同じ映像を見るのです。それは青い波が立つ池の映像です。水面には無数の光の点のようなものが写っています。どこなのか? いつの記憶なのかについては思い出すことは出来ません。
ただ、かなり子供の頃からずっと見ているので、幼い頃の記憶であることだけは確かなようです。私の知っている限り、記憶に該当する池を知りません。トラウマ系は恐怖のあまり記憶から抜け落ちていることが多いので、それも仕方ないのかも知れません。
子供の頃、幽霊や化け物は日常の光景だったので、あえてトラウマを作るような記憶があるとも思えません。しかし、たぶんよほど怖ろしい記憶だったと思うのですが、青い波を思い出すだけで胸がドキドキするのです。
いくつか池に関する思い出はあります。しかしトラウマの記憶に該当するような池のものではありません。
子供の頃のある時、実家の近くの池で子供が溺れ死んだことがありました。その池は人が溺れ死ぬような深い池ではありません。どちらかと言うと、のどかな草原の中にある美しい池だと思います。しかし、何年かに一度、必ず溺れて死ぬ子供が出るのです。
祖母は、
「あの池は、とても美しい池だから、ああ言う池は人の心を誘いやすい」
と言っていました。
「何のために誘うの?」
と尋ねると、
「お前のような子供の命を吸い取るためじゃ。だから、けして、あの池の水に触るでない」
と言われました。
祖母によると、普通の人がその池に入ったり水を触ったりしても、別に溺れたりはしないそうです。
祖母は、
「あの池は、霊的な力が強い子供が餌食になる」
と言っていました。
そう言えば、不思議なことに池の近くを通った時、人が死んだ池であるような気が少しもしなかったのです。それよりか、むしろ、とても美しく、そして、
「その水を飲んでみたい」
と思わせる魅力がありました。
このような池は、昔はあちこちにあったようです。
霊力の高い子供だけを食べる池です。ある種の化け物なのかも知れません。他には特定の生き物だけを食べる池もあるそうです。たとえば猫だけとか、犬だけが嵌って死ぬのです。
祖母は、
「あぁ言う池は、生き物のようなものだから、やがて命が終わり滅びてゆくんじゃ」
と言っていました。昔は山奥にあったそうですが、開発が進み、山奥にも人が住むようになったので、被害が出るようです。
大阪に住み始めた頃、通勤していた道の近くに農業用の溜め池がありました。ある夏の熱い日の夕方、池の近くの帰り道を歩いていると不思議な子供を見ました。その子供は活気がないのを通りこして不気味なほど陰気な感じがしました。道路の端にうつむいたまま立っていたのです。
——何をしているのだろう?
と思いましたが、私には関係ないのでそのまま池の見えるところまで行きました。すると、何台かのパトカーと警官や消防団の人たちが騒いでいるのが見えました。救急車も来ているようです。
その時、
——誰かこの池で溺れたのかな?
と思いました。
それで気になって、
——さっきの子供を見よう。
と思い振り向きました。すると、そこにはまだ子供がいて、膝のあたりまで地面に埋まっていました。その時は埋まっているように見えたのですが、良く考えると地面に吸い込まれているような気がします。そしてその子の腰のあたりに、何本かの白い手が地面から伸びていました。
ふと、思い出すと、子供の頃に実家の裏にあったジャングルのような森の中にも小さな池がありました。全体が湿地でしたので池と言うより沼かも知れません。不気味ではありませんでしたが、多くの生き物の骨が水中に見えていました。水底は、すべて動物の骨であったような気がします。
それを見た時、
——死期の近づいた生き物が、死にに来る場所か?
と思いました。水面は風のないのに波立っていました。まるで多くの魚でもいるかのように、時々、波立つのです。しかし私はその池で魚を見たことがありません。
——昔はこの池に夜中にヤチ火が写ったりして、さぞ、不気味だったろうな?
と思いました。
そして、
——それにしても、どうして波が立つのだろう?
と、時々、思い出しては不思議に感じます。
この池が、一番、トラウマの景色に近く条件もそろっていると想像出来ますが、ここに引越したのは私が十才を過ぎてからのことです。青い波の立つ池の記憶はそれ以前から持っていました。
だから、
——ここはとても似ているけど違うな。
と思いました。このジャングルのような森については近世百物語・第七夜に書いていますので、そちらをご参考に……。
さて、私が小学生の頃、観光で何度か大きな湖を見たことがありました。北海道には湖が多く、その多くは観光地化しています。しかし、観光ルートから外れた場所にも美しい湖が多くありました。両親が珍しい景色を観光しに行くのが好きだったこともあり、時々、無名の池や湖に出かけてはその景色を楽しんでいました。
観光船で湖のひとつを移動している時のことでした。もう夕方で、夕日が写る湖面がとても美しかったことを覚えています。その記憶の中に湖の水面を歩く人の姿が残っています。その人は私以外、誰にも見えなかったようです。ごく普通に水の上を歩いていて観光船を眺めていました。
多くの観光客が、見えているのかいないのか、しきりに景色を写真におさめています。両親も写真を撮っていたようですが、帰ってから現像すると、やはり、黒い半透明の人影が写っていました。
祖母にそれを見せて、自分が見た人のことを話すと、
「あぁ、あそこは良く人が死ぬからな」
とだけ言っていました。
写真は行方不明になったことにして祖母が祓い清めて焼却しました。その時、はじめて心霊写真の処分の方法を祖母に教わったのでした。
* * *