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播磨陰陽師の独り言・第二百八十話「某国から来た人々」
ゲームの開発をしていた頃、C国やK国から、海を超えて勉強しに来ている人たちがいました。彼らは学生ではありません。また、それほど若くもありませんでした。
C国から来た人々は、日本で言うと工科大学系の大学院の教授たちでした。自分たちで開発した『タングラムQ』と呼ばれるパズルゲームを売り込みに来たのです。ゲームはかなり時代遅れな感じでした。デザインも音楽も昔のC国の雰囲気が漂っていました。しかし、レトロではありません。単に古臭かったのです。ゲームそのものも、やはり奇妙でした。奇妙と言うか、
——こんなの誰がやるんだろう?
と言うような内容でした。
しかし、C国の人にありがちな、自信満々な感じで自慢しています。
——なぜ、それほどまでに自慢出来るのだろう?
と、何度も首を傾げました。いかにハードウェア的に優れているのかや、ゲームは絶対ヒットするとか、色々と言っていました。しかし、いざ販売してみると、サッパリ売れませんでした。あんなゲーム、誰もプレイしないのだから仕方ありません。
K国からは軍人が来ていました。軍隊からエリートが派遣され、ゲーム開発を学んでいたようです。エリートと言っても軍人としてです。プログラムは組めるものの、音楽やデザインなどはアマチュアです。だからか、やはり古臭さい絵を描きます。
「ロボットを描いてみて」
と言うと、たちまち昔の日本のアニメに出て来た、見たことのあるようなものを描きます。
軍人を連れて来たK国のディーラーは、いつもお土産に朝鮮人参のドリンクを持って来てくれました。良い人なような感じがしましたが、彼は違法なコピー業者でした。日本に情報や機材を盗みに来ていたのです。そのことを後で知って、
——あぁ、K国らしいなぁ。
と思いました。当時、K国は違法コピーばかり作って売っていました。今でもそうらしいですけど……。
われわれが、毎日、血を吐きながら作って来たゲームを単にパクるだけで、堂々と世界に売って稼いでいました。
しかも、
——K国がオリジナルを作ったら、日本人がパクった。
とまで言いはるのです。
当時、K国にオリジナルのゲームなどありませんでしたし、オリジナルを作れる開発力もなかったのに、こんなことを言われて憤慨していました。差別する訳ではありません。ひとりのクリエイターとして、あの国に対する怒りを覚えるほどの、ひどい体験をしたのです。彼らのおかげで締め切りが早まったり、仕事が増えたりして、たいへんでした。そして、その頃におった内臓疾患で、今でも苦しんでおりますが……。
* * *