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近世百物語・第六話「ヤチ坊主の話」

 怖しい人面疽からようやく解放されて、引っ越した先の裏には〈アイヌ人の聖地〉と呼ばれる森がありました。そこは今では整地され、工場や倉庫が立ち並ぶ近代的な地域となり、昔の面影もなくなりました。しかし、当時はジャングルのような森が広がっていました。
 入り口に大木が一本あり、初夏にはカッコウの棲家となっていました。カッコウの鳴き声を聞くと、あの森が懐かしくなります。森は湿地で、様々な生き物が暮らしていました。
 ここが聖地と呼ばれるには訳があります。
 昔、その場所は〈ヤチ坊主〉と呼ばれる特種な植物が群生していたのです。
 ヤチ坊主は、漢字で〈谷地坊主〉と書きます。ヤチは窪んだ湿地になっている場所を意味します。
 ヤチ坊主は、日本国内に色々と群生していた記録があります。主に湿地に生える植物の一種で、こんもりとした坊主頭のような、草の集まりに見えます。だから坊主と呼ばれるのです。広い湿地に、坊主頭のような草むらが、たくさんあると思ってください。しかし、どう言う植物なんでしょうね。ただの小さな草むらにしか見えません。
 ヤチ坊主は、あちらこちらに存在していますが……昔の十勝平野の真ん中にあったヤチ坊主には、他の地域の物にはない不思議な特徴がありました。
 それは〈ヤチ火〉と呼ばれる現象を伴うことです。ヤチ火は、人魂のような物だと思ってください。そのヤチ火と呼ばれる火の玉のような物が……夏の夜になると……ヤチ坊主から出てフワフワ飛び回っていたそうです。 火の玉が出る植物など、他では聞いたことがありません。このヤチ坊主が、昔は広く群生していたと言います。暗闇の中で、ボッーボッーとヤチ火が噴き出され、火の玉がフワフワと漂う森。それだけでワクワクします。

 亡くなった祖母は、このヤチ火の話をいつもしてくれていました。
「むし暑い闇夜には、よくヤチ火が飛びまわったもんじゃ。ヤチ坊主から、人魂のように青白い炎が尾を引いて飛び出して、フワフワとあたりを漂っては消えて行った」
 と……。
 だからこそ、この土地がアイヌの人々の聖地となったのでしょう。誰でも、真夜中に人魂が飛び交う場所を見れば、聖地か、さもなくば祟りのある場所と思うことだと思います。
 人魂は青白い炎をあげてあたりを漂います。これが赤い炎の場合は〈鬼火〉あるいは〈狐火〉と呼ばれます。

 私は、子供の頃、一度だけヤチ火らしきものを目にしました。それは別な場所で、しかも墓場の近くだったので、もしかするとただの人魂だったかも知れません。 青白く群れをなして飛び交っていて姿を美しく感じました。やはりその日も、夏のむし暑い夜で、しかも雨が降った後でした。
 空港近くの墓場を、親の運転する車で通った時、森の向こうにいくつもの人魂のようなものがゆっくりと飛び交う姿を、一瞬ですが見たのです。 その時も、やはりワクワクしました。
 あとで、その話を祖母にすると、
「それは、ヤチ火と言うもんじゃ。ヤチ火はのぉ、ヤチの中にたまった油のような物に火がついて、その油にむらがっていた虫達が、逃げ出す時に炎をあげるものなんじゃ」
 と言われました。
「霊的な現象じゃないんだね」
 と聞くと、
「その油にむらがる虫の正体も、その油がどんな油なのかも、まだ分かってはおらんのじゃよ」
 と笑って答えてくれました。
 そして、
「いいか、わしが子供の頃、村の若い衆が肝試しすると言うで、ヤチ火をハンテンを被して捕まえた者がおった」
 と説明が始まりました。
 祖母は急に小声になって、
「ずいぶん怖しいこっで、酒をしこたま飲んで、十人くらいでヤチの群生しておる湿地へ行って、そら出たと叫んだら、一気にヤチ火にハンテンを掛けた」
 と続けました。
 私は目を輝かして尋ねました。
「ハンテン、燃えたの?」
「いいや、そのまま火が消えて、ハンテンの内側に油のような物がいっぱい付いていたそうじゃ。そぅして、その油の中に見たことのない、小さく透き通った青白い虫が、たくさんおったが、見ているうちに消えたそうじゃ」
「その人は、どうなったの?」
「そのヤチ火を捕まえたにぃちゃは、知り合いだったが、次の日に高い熱を出して苦しんだ後、三日して死んだんじゃ」
 と、暗い顔をして言いました。仲の良かった知人のようでした。
 私が、
「ハンテンは見たの?」
 と尋ねた時、
「ああ、兄ちゃが死んだ時、いっしょに燃やしてしもうたがのぉ。確かに、油のようなものが付いておった」
 と答えてくれました。
 その時、私の中に大きな疑問が浮かびました。それについて尋ねたのです。
「その虫は霊なの……」
 すると、
「さぁ、この世には……まだまだ、ワシらも知らぬ物が、多くあるでのぉ」
 と祖母は言って笑っていました。
 かつて、ここにはたくさんのアイヌの人々が暮らしていました。静かに幸福に自然を讃えながら祈りを捧げていたのです。それも縄文時代からずっと。しかし、わずか百五十年ほど前にやって来た和人に、何もかも壊されてしまいました。
 もう、ヤチ火が出るような自然な状態でのヤチ坊主は絶滅したそうです。ただ、狭いエリアに保存され、形だけ残っているいくつかの群生地を知っていますが、一度も、そこでヤチ火を見たことはありません。

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