
近世百物語・第九夜「喪服を着た人」
白い手の話が出たついでに、黒い人についても話しておこうと思います。黒い人とは、喪服を着た幽霊の類のことです。自分の死を理解しないまま世間をさ迷うものか……それとも、身内に挨拶してまわるものか……その真意は明らかではありません。しかし、喪服を着て歩くのです。しかも昼夜無関係に……。
私はあの黒い人々を何度も目にしています。昔なら白い着物に三角の紙烏帽子をつけたスタイルで現れたのかも知れません。自分の葬儀に参列しているのでしょうか? それは分かりません。ただ、いくつか見た時のことを書いておこうと思います。
これは、もう、何年も前になります。癌で母を亡くした時のことです。ちょうど亡くなった日に地下鉄出町柳駅構内で母に会いました。
京都出町柳駅は地下道です。地上に出るまではまっすぐな見通しの良い構内が続きます。
その日、母は、北海道の病院で寝ている筈でした。あと数カ月の命と医者に宣告されていました。しかし、まだ生きているままの姿の母が私の目の前にいて、喪服を着て話しかけてきたのです。かなり妙な体験でした。
私は、ふと、思いました。
——母にソックリなだけで別な人か? 顔にアザがあるし、たしか三日前にあった時は、こんなふうではなかった。
確かめようと振り返ると、もう、どこにもいないのです。道は一直線のわき道もない場所。当然、近くにいるものと思っていました。どこに行ったものか、さっぱり分かりませんでした。
その一週間前のことです。
弟からの電話で言われました。
「母が癌で入院し、あと半年の命なので、生きている内に会った方が良いぞ」
家族は誰もその話を知らなかったそうで、父も弟も、突然、降って湧いたような話に大慌てでした。
こちらも慌てて飛行機のキップをとって、そのまま北海道へ行き、病院の母を見舞いました。
私の実家のある十勝は広い平野です。空港から実家までかなりの距離がありました。従兄弟の迎えの車の中で、皆、押し黙って走り続け、ようやく病院に到着しました。重い空気でした。
母はその時は元気でした。
弟と共に医者に呼ばれ、レントゲン写真やCTスキャン画像を見せられて言われました。
「余命、半年程度だと思います。まだ、今日、明日と言うことはありませんが、覚悟だけはしておいてください」
寂しそうな母の目を見ながら元気づけ、
「また、治ったら、京都に遊びに来れば良いよ」
そう言って別れました。本人には、癌であることも、余命のないことも知らされてはいません。
病床の母は悲しそうに言いました。
「良くなったら、きっと行くよ。大阪から来るのは大変だから、大丈夫だから、もう来なくて良いよ」
駅で喪服の母らしき人に会ったのは三日後の話です。
——やばい。
と思い、仕事が終わった後、京都から電話したら、
「本日、昼すぎに死亡しました」
と告げられました。
それから慌ててまた北海道へ行き、実家に着いて驚きました。母の亡骸の顔にはアザがありました。もちろん出会った喪服の人にソックリでした。
葬儀を終えると、初七日まで、毎日、同じ時刻に玄関のベルが鳴り出しました。最初は誰かのイタズラかと思いました。次の日も、また次の日も、同じ時間に鳴るのです。その内、少し窓を開け、玄関のベルを確認することになりました。同じ時間になると、誰もいない玄関のベルが押され、ピンポンピンポンと鳴り出したのです。誰かが返事をするまで、何回でも鳴り続けるのですから、もはや錯覚ではありません。玄関のベルを押す亡霊は何度か他でも見たことがあります。
一緒にいた甥と姪は、怖いながらも嬉しそうに、
「お婆ちゃんが来たんだ」
と言っていました。
ただ、私の父親だけは、普段から霊的な現象に否定的でした。音が聞こえていないのです。
毎回、首を傾げては、
「なぜ、何もないのに玄関に出るのだ」
と、しきりに不思議がっていました。
甥と姪がひたすら説明しても、意に介さない雰囲気でした。
しまいには、
「そんなものが、この世におる筈はない」
と怒り出す始末です。見えたり感じたりしない人には分からない世界があります。ですが、複数の人々がどうじに同じ体験をするなら、もうそれは、立派な心霊現象なのです。
母の父……祖父の亡くなる時も……祖父の姿が、毎朝、身内の家の戸を叩いては、
「わしだ寂しい」
と言って消えたそうです。
祖父は札幌の病院で亡くなりました。
しかし、
「別な町に、次々に現われては消えた」
と、叔母たちが騒いでいました。
祖父が亡くなる時、私の京都の家の玄関にうずくまる、祖父の姿を見ました。暗がりに人の気配がするので、見ると、老人が座っていたのです。とても寂しげな姿に、すぐに祖父と分かりました。
私は咄嗟に、
「お爺ィ」
と言うと、祖父の姿はこちらを見て、ニコニコとしました。そして、そのまま消えました。この時も、祖父は喪服を着ていました。
祖母が亡くなる時は、誰のところにも現れませんでした。想いを残すことを嫌っていたからだと思います。
祖母の葬儀には、結局、間に合わず、田舎に着いた時はすでに火葬が終わる頃でした。焼きあがった骨の、あちらこちらが壊れていて、病気に蝕まれていた様子が見て取れました。
喪服の参列者の中に、こちらをジッと見る小さな女の子がいて、とても印象的でした。その子は祖母と最後まで暮らしていた、一番年下の従妹です。その子は、祖母から何か聞いていたのかも知れません。
あれから祖母の夢を見るようになりました。いつものように、様々なことを教えてくれます。死んでからは曖昧な言葉を使うようになったので、こちらで資料を探すのに苦労しました。
母の夢はあまり見ません。死にかけた時にだけ、迎えに来る夢を見ます。
この母は、生前に一番好きだった京都の町に、現われたのでしょうか?
それとも、ただ似ていただけの喪服の老人に京都で出会ったのでしょうか?
その真相は今でも分かりません……。
* * *