近世百物語・第四夜「何を食べて」
子供の頃、実家の裏に洋風の建物がありました。ツタのからまる、こじんまりした家は、恐怖映画の舞台にでもなりそうな雰囲気がしました。まだ、十歳くらいの頃、その家によく遊びに行ったものです。
その家に行くようになったのは、ある日、家の近くでひとりで遊んでいると、高校生くらいと、二十歳くらいの姉妹らしき女の子出会ったからです。
今にして思えば不思議なことですが、その時の会話はごく普通にはじまりました。
「なにしているの?」
「ひとりで遊んでいるの」
「うちに美味しいお菓子があるから、来ない?」
姉らしき人が言うので、とぼとぼと二人の後をついて行きました。
その日は別に不思議でもなんでもなく、ただ当時は珍しかった洋風のケーキと紅茶をもらって、嬉しかったことだけを覚えています。はじめて本物のグランドピアノを見たのもその日のことです。
その家は四人姉妹で、ふたりの他に、上の姉と一番下の妹がいました。妹は中学生くらいだったかなぁ、ずっとピアノを弾いていました。洋風の家も、ピアノもケーキもその頃は珍しく、あたたかい雰囲気につつまれて、楽しい時間をすごしていたのです。
昭和の四十年代の出来事です。世の中はモノクロテレビが普及して、そろそろ総天然色と称するカラーテレビが出始めていました。ウルトラマンをモノクロテレビで見ていた私は、カラータイマーの意味が分かりませんでした。
さて、その日は帰る時間となり、
「また、おいで……」
と言われ、その名も知らぬお姉さんに、
「また、明日も来ていい?」
と尋ねました。
すると、
「じゃあ、同じ時間にケーキを用意しておくわ」
と言ってくれました。
玄関まで四姉妹が送ってくれて、私に手をふってくれました。それから何日も、ずっとそこにだけ遊びに行くようになりました。他の場所に行く気がしなかったのです。しかし、不思議と彼女らの名を尋ねた記憶がありませんでした。もちろん、知らない名は思い出せもしません。
時々、行けない日もありました。また行くと、いつもように美味しいケーキを用意してくれていたのです。その頃は、この家のことも、お姉さんたちのことも、誰にも言いませんでした。自分だけの密かな楽しみになっていたのです。もちろん、弟にも、いつも一緒にいた従兄弟たちにも黙っていました。
毎日、違うケーキを食べたような気がします。特に美味しかったのはイチゴのショートケーキです。あの白い上に赤いイチゴの乗った見た目が、とても美しかった気がします。今でもイチゴのショートケーキを食べると、その時の幸せな記憶が、ふと、蘇ります。
三ケ月くらい、ほとんど毎日、この家に遊びに行っていたように記憶しています。
ある時は、
「今日はバナナがあるわ」
とか、バナナは誕生日か病気になった時くらいにしか食べることが出来ない食べ物だったので大喜びでした。まだ、バナナの叩き売りなど見たこともありません。美味しくて珍しいお菓子や果物をもらって、頬張って食べていました。
そんなある日、母が不思議そうに尋ねました。
「毎日、どこへ行くの?」
「裏の家に、お菓子を食べに行くんだ」
「えっ」
「裏ってあの洋風の家かい?」
私はうなづきました。
その時、母が、
「そんなハズはない」
と、青ざめた表情になったのです。
「だって、今日も、行ってるんだよ」
「裏の家の人は随分前にみんな死んで、今は空家になっているハズ」
「そんなことはいよ、毎日行ってお姉さんたちに会っているよ」
と、私は叫んだのです。
母は、
「たしかに四人姉妹がいたけど、ずっと前に火事で焼け死んだのよ……いいからついて来なさい」
私の手を引っ張って、裏の家の前に行きました。
「ここかい?」
と聞かれたので、
「そうだよ」
と、言おうと思って、ハッと息を飲んだまま、言葉が出なくなりました。
そこは確かにあの家だけれど、さっきまで遊びに行っていたあの家だけれど、でも、すでにそこは廃虚と化していたのです。
窓ガラスは割れ、壁は一部が焦げてはがれ落ち、玄関の戸は錆びついて、雑草が生い茂っています。いつも聞こえていた筈のピアノの音も、今は何も聞こえません。しかも入り口には、錆びた鎖までもが掛かっているのです。この、人を拒絶する雰囲気。いわゆる幽霊屋敷と言うやつです。あの四姉妹も幽霊だとしたら、幽霊に遊んでもらったと言うことになります。
これは、大人になってから知ったのですが、あのお屋敷は、確かに私が遊びに行く以前に、火事で焼け落ちています。哀れな四姉妹も、その時、亡くなっていたそうです。冬の寒い時期の出来事でした。古い新聞の記事を読みました。ですが、死んだ人の名と顔写真は確認しました。しかし、あまりのショックに、すぐに忘れてしまいました。幽霊に遊んでもらったのがショックではありません。彼女らの死に方が悲惨だったのです。
母に手を引かれたあの日から、時々あの家へ行ってみました。もはやただの焼跡にすぎず、中に入ることは出来ませんでした。
私は毎日、何を食べていたのだろう?
どこへ、行っていたのだろう?
誰と、過ごしていたのだろう?
ただ、恐ろしさも不思議さもなく、優しい姉のような人々に囲まれた、しあわせな記憶が心の中に残っているのみです。終わり。
* * *