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近世百物語・第三十ニ夜「覗いているもの」

 小さい頃、祖母の家で、障子に空いた穴から覗く目を見ました。
「だれ……?」
 と聞くと、祖母に、
「あれは誰でもない、いいから見るな」
 と言われました。
 まだ幼かった私は、その目に興味がありました。目は、とても大きく見開かれていて、しかも澄んだ瞳をしていたのです。
 目は、夜にしか見ませんが、いつも、見るたびに、
——とても、美しい目の人だな。
 と思って、わくわくしました。
 祖母は、覗く目の人を嫌っているような気がしました。
 祖母は、好き嫌いのハッキリした人でしたので、嫌っている人が何人かいるのは知っていました。しかし、そこまでその目の持ち主を憎まなくても良いような、そんな気がしていました。
 ある夜、雨がシトシトと降っていました。
 私は、また祖母の家にいて、暗くなりかけた部屋の中で、時々、光る雷の音を聞いていました。音は遠くに響き、近い感じではありません。雨の音も静かで、まだ激しくはありません。私は幼い頃から雨の音が好きでした。それは、大人になった今でも変わりません。
 祖母の家の障子の向こうは廊下があり、縁側になっていました。雨戸は閉まっています。雨戸の隙間から、時々、雷の光が差し込めていました。
 その時も、あの美しい目が、障子の穴からこちらを見ていました……と言うことは、家の廊下、雨戸と障子の間に、誰かがいることになります。
 雨戸の隙間に雷の光が当たって明るくなると、目のまわりが照らし出されました。時々、光る雷に、美しい目の持ち主の形が見えています。しかし、頭だけで、体の影はありません。
——えっ……なぜ?
 と思い、ジッと見つめても、やはり頭の影だけでした。これでは、生首が浮かんでいて、その目が障子の穴からこちらを見ていることになります。
 その時、私の様子に気づいた祖母が、障子の目を睨みながら、小声で何か唱えました。と、慌ててその首が外へ向って逃げてゆきました。トントンと言う音が聞こえ、雷のドスンと言う音と、雨戸が倒れる音が一緒にしたと思ったら、雨戸が外側に倒れました。風がまって、少し雨が吹き込んでいます。
 祖母は立ち上がって雨戸を直し、パタンと障子を閉めて、私の前に正座しました。
 その時、私は、
「何か逃げて行ったの?」
 と祖母に尋ねました。
 すると、
「まだ、お前は知らなくても良い」
 と言いました。
 そして、
「しかし、今夜のことは良く覚えておけ。けして忘れるな」
 と強い口調で言ったのです。

 私はそれから、何度かこちらを覗いているものに出会いました。それらは、みんな隙間から、大きな目ばかり見せて覗いています。
 そして私がふと睨むと、決まって慌てて逃げてゆきます。
 それを見て、
——逃げるくらいなら、最初からこちら覗かなくて良いのに……。
 と思ったことが何度もあります。

 大人になってからの私は、どこかを睨む癖がつきました。道を歩いていて何か妙なものを感じると、突然、その方向を睨んでしまうのです。
 これは、
——祖母と同じ癖だな。
 と思います。
 それで、たまたま睨んだ方向を歩いていた人が、驚いて転んだりすることもありました。罪作りな癖だと思います。

 あれから、何度かこちらを覗く目を見ました。皆、人ではありません。
 夜の電車の窓の外をふわふわと飛びながら、こちらを覗くものにも出会いました。電車のまわりを飛んでゆくには、かなりの速度が必要だと関心したこともあります。
 物影に隠れてこちらを覗く、小さな生首に手足の生えたようなものも見ました。これは抜け首ではありません。人の首とはおおよそ違う種類の何かです。
 電車の中で、通路から首だけ出して、こちらを覗くものも見ました。体は電車の下にあるのでしょうか? 首から下は見えませんでした。生首だけとも思えません。
 しかし、世の中に割とよくいるのは、もやもやした透明な影のようなものです。片方の目だけがハッキリと見えて、こちらを覗いていて、暗闇や物影に隠れるようにたたずんでいます。陰気な雰囲気で、しかも面倒なことをするので、あまり好きではありません。

 時々、頼み事をしていこうとする連中もいます。いつだったか電車で帰ろうとしている時、窓の外を半透明の鎧武者が飛んでいて、頭が半分ない顔でジッとこちらを見ていました。
「頼みたいことがござる」
 と、頭の中で聞こえたような気がしましたが、
「私は無関係ですから……」
 と言って、頭の中で祝詞をあげると、そのもの自体も消えました。あれは関ヶ原のあたりを電車が通る時のことでした。

 霊的なものの頼みを、そのつど聞いていたら命がいくつあっても足りません。時間もかかります。もし、これがドラマだったら、主人公が必ず助けたり、助ける人を阻止する力が働いたりすることでしょう。しかし、現実はそうではありません。われわれ播播磨陰陽師は、人や霊を助けるためにこの世界に生まれて来た訳ではありません。
 この世界のバランスを取るために霊力を持って生まれ、厳しい修行をして術を使えるようになったのです。そして、助けるべき者を助け、滅びるべき者を滅ぼす。ただ、そのためだけにこの世にいるのかも知れません。
 何かを睨むと言う、祖母と同じ癖を持つのは嫌でした。今では、つい睨んでしまう理由を理解出来たような気がしています。あの癖は、何かこの世のものではないものを威嚇しているのです。つい無意識で威嚇して、つい無意識に祓ってしまいます。霊的なものの知識を学ぶと、見えるようになって怖れる人がいます。大人になってから霊能者になった人のことです。私は生まれつき見えている日常なので、怖れる前に、自動で祓うのがデフォルトになってしまいました。普通の人が怖ろしいと思う何かが見えても、いつものことなので慣れましたが……。

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