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近世百物語・第十九夜「霊的な形の雲」

 京都から、大阪の阿倍野へ引っ越すための用意をしていた頃、ふと、ベランダから空を見ると龍が飛んでいました。もう二十年近くも前のことになります。それはかなりたくさんの龍で、ゆっくりと形を変えながら空を移動していました。これは、もちろん、龍そのものではありません。龍が空を移動する姿が雲の形を借りて現れたものです。これを〈龍雲〉と呼びます。
 一般に龍雲は、龍の形をした雲のことです。見ると縁起が良いとされています。しかし、ただの龍の形をした雲なだけではありません。龍そのものがこちら世界の空を通った跡なのです。たまたま雲が近くにあると、雲の微粒子が寄って、龍の形になります。しかし、長い時間は寄っていられないので、何となく龍の形が見える現象です。
 龍雲は出る地域も、出る時期も決まっています。他の季節や場所では、よほどのことがない限り見ることは出来ません。また、見る能力の少ない人や、生きてゆく力の足りない人は、見でも分からない場合があります。

 雲が龍の形をとる。あるいは龍が雲にその姿を隠しながら飛行するとも伝えられています。これは、どちらも正しい表現であり、また、どちらも正しくない表現です。
 龍の実態は理解の範囲を超えています。いずれにしろ、分かろうとする人にのみその姿を現し、他の人の目には大きな雲の一部としてしか姿を見せることはありません。
 龍の姿を見ることは縁起が良いことです。何度か空を飛ぶ龍を見ていますがCGですら適切に再現するのは困難だと思いました。絵にあるような、蛇のようなヌラヌラしたウロコとヒゲの頭が、やはり蛇のように移動しているのを描くのは簡単です。本物の龍雲は、複雑な微粒子の多重構造を持ち、ゆっくですが複雑に微粒子同士が影響しあいながら移動しているのです。CGでこれを再現出来たら、それだけでかなり見ごたえのある映像になると思います。
 なぜ、龍雲が出るのでしょうか?
 伝承では、

——龍が霊界から神仙界へ移動する時、こちらの世界を通る。その時、雲が寄って龍雲を作る。

 とあります。逆に移動する場合も龍雲が出来るそうです。霊界も神仙界も人の目に見えない世界です。まったく次元の違う世界です。龍が、異次元から別な異次元へ移動する時、こちらの次元を通り、そこに龍雲が出来ると言う訳です。
 また、播磨陰陽師の伝承には、

——偉大な人が死を迎えると天に龍が登る。

 とあります。
 これは、

——地上から龍となった偉大な魂が、天に迎えられて登る。

 のだそうです。この時は竜巻が起こり、にわかに嵐になります。激しい風が吹くので、巻き込まれて死ぬ人も出るそうです。これを〈昇天〉と呼びます。昇天の時は様々な自然現象が起こります。

 龍は生物学的な存在ではなく、また想像上の動物でもありません。あえて言えば〈霊獣〉のひとつです。霊獣は、異次元に棲む存在なのです。それがこの世界を通る時、雲や、霧や雨や霞の中にその姿を現します。水分を含む微粒子を大気の中で操って、自らの存在を人に見せるとも言います。雲の中の微粒子は、龍の持つ情報に引き寄せられて雲の形を変えます。
 雲はそう言うものです。雲は大気と地表の情報を表現するのに、もっとも適した物質です。雲の形を観察することによって、雲の下や大気の状況が分かります。空を移動し、あるいは出現する様々な霊的な情報も視覚化し、理解する者の心に伝えてくれるのです。龍や龍雲を見るには、ある程度の霊力が必要です。霊力のレベルで見るものも変わります。
 龍雲を科学的な表現で書くと、
「雲を構成する微粒子の形や動きが、人に情報を与え、様々な認識をもたらす」 
 と言う説明にでもなるのでしょうか?
 科学的な見方は、陰陽師的な現象を適切な用語で説明してくれるので、私には理解しやすく、しかも面白いと思っています。

 陰陽師は、占い師でも風水師でもありません。特殊な知識を駆使して、様々な自然のことわりを理解し、操作することが本来の陰陽師の姿で、そのために様々な口伝を持ちます。
 口伝には、

——雲の形を目にせし者は、天と地のことわりを知り、人の心の在り方を知る。

 とあります。
 口伝は常に古い言葉です。表現が学術的に正しいとは限らないので理解するのは難しいです。言葉の意味を理解しようとして、別な分かりやすい文章に変更することは無意味です。言葉が、言葉のまま心の中で反復され、心の中にしみこんだ場合のみ、自在に活用することが可能になる種類のものです。
 武術の奥義もこれと同じです。
 特別な言葉は、その発音や配列自体に意味があります。意味が合っているからと言って表現を変更すれば、その言葉は本来の力を失うのです。これは、古文を現代語には訳しても意味がないと言うことです。古文は古文のままが良いのです。
 空に龍雲が出来ることを〈天龍が走る〉と言います。
 この言葉は、龍の形をした雲が、他の雲と違う速度で移動する状態を表しています。違う速度ですので、見るとすぐに分かります。注意して良く空を眺めていれば、誰でも目にすることの出来る現象です。ただし怖れてはダメです。また、心に余裕のない人は見ることすら出来ません。心が霊的な物を捉えて認識する余裕があれば、様々な存在は怖れることも不思議がることでもないと気付くでしょう。
 でも、はたして、どのくらいの人々の心にそれだけの余裕があるのでしょうか?
 私には、分かりようもありません。一度でも見てしまえば、今までナゼ見えなかったのか不思議に思うことでしょう。

 播磨陰陽道には、縁起の良い龍雲が発生する場所が様々に伝わっています。〈龍の通り道〉と呼ばれています。もちろん、縁起の悪い、怖ろしい種類の龍雲もあります。
 また、龍が通った時に唱える祈りの言葉もあります。その時に叶うのは、いったい、どのような種類の物事であるとかも伝わっています。
 龍にはかなりの種類があり、龍の見分け方も伝わっています。しかし、この見分け方は、何も播磨陰陽道に限ったことではありません。普通に書物に書かれて残されているのです。それらのことは、長くなりますので、いずれ『怪しい世界の住人〈龍神〉』で配信します。

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