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近世百物語・第五夜「人面疽の恐怖」

 子供の頃と言えば、実家の近くに、人面疽じんめんそを持つと噂される老婆が住んでいたのを覚えています。
 北海道の十勝平野で、昭和三十年~四十年代頃、子供時代を過ごしました。時代的にか……さもなくば地域的にか……まだまだ不思議な出来事が普通にあったと思います。
 場所的には、実家を出ると正面に新築の庭付きの豪華なお屋敷。そこを左に曲がると神社があり、神社のはすむかいに木工所。この木工所の向こう隣りは、毎日、牛乳を買いに行っていた牧場の入り口で、そのさらに向こうに問題の建物が鎮座していました。建物は戦前に建てられた木造二階建てのアパートです。屋根は北海道仕様なので瓦ではなくトタン屋根。古くて不気味な建物でした。
 当時、人面疽は、あの地域ではよく知られていた現象のひとつでした。そして、呪いでかかる病気の一種だとも思われていたのです。もちろん、迷信だとも、伝説だとも言われていました。
 しかし、あの頃、漫画の『ブラック・ジャック』の中に、あるいは同時代の恐怖漫画の中で見た人面疽の絵のイメージが、強烈に心に焼き付けられていました。見たことのない人面疽のことを、子供たちは、イメージとして良く知っていたのです。しかし本当に、漫画にあるような物だったのでしょうか? 今となっては分かりません。

 祖母に尋ねると、
「人面疽とは、人間の体の一部に人の顔のようなデキモノが出来て、次第に顔そのものになり、やがて物を食べたり、言葉を話すようになるものじゃ。その多くは、呪いや祟りによって生まれる」
 と言っていました。
 それが、本当なのかどうかについても、やはり分かりません。ただ、唯一の本物の人面疽を見るチャンスを恐怖のために逃してしまったことを残念に思っています。

 当時、近所の子供達は、人面疽の老婆が恐ろしくて、誰でも家の前を通ることすら、避けたものです。
 その老婆は、
「肩と膝に、それぞれ人面のデキモノがあり……膿みを吐いては、恐ろしい言葉で、まわりの人々をなじるのだ」
 と噂され、それを聞いていました。
——聞いていた。
 と言うのは、怖すぎて一度もそこを覗いたことがないからです。
 老婆は、地元に残るアイヌ人でした。今は、観光地に行かなければ見かけることはありませんが、子供の頃には、普通にアイヌの人々が、われわれ和人と共に生活していました。
 アイヌ人の女性は、顔に特有の入れ墨がありました。特に口のまわりの入れ墨が目立っていて、子供心に、かなり恐ろしげな感じがしました。昔は入れ墨の人は普通にいた筈です。しかし、背中の唐獅子牡丹より怖しげな雰囲気でした。今、考えると、あれはあれで文化的に興味深い物です。まだ子供であった私の目には、ただ〈口裂け女〉のような恐ろしげな存在として誤解していたのです。

 人面疽を持つと噂される老婆は、普段から、アイヌ語だけを話していました。日本語が話せないのか、それとも、アイヌ語に誇りを持っていて、それしか使わないのかは分かりません。
 そう言えば、祖母の祖父も、時々江戸時代の古語を使って話していました。それは現代語が面倒だったからか、それともボケていたのか、こちらも今となっては定かではありません。
 当時、地元のアイヌ人の中には……普段の生活ではアイヌ語のみを話し、和人を相手にする時だけ日本語を使う集団が残っていました。
 日本人のことを〈和人〉、あるいはアイヌ語で〈シャモ〉と呼んでいました。これらは、今は死語のようで、最近使われたのを聞いたことがありません。
 子供の頃は、アイヌの人達もかなり残っていましたが、今は観光地でしか見かけることはなくなりました。しかも混血の人ばかりで、純粋なアイヌの人を見ることはなくなりました。
 アイヌの人々の文化は、縄文時代の祭礼などの流れをくんでいます。それらを含めてこそ日本の文化なのです。これらの古い文化のみが急速に失われて行くことは、寂しいかぎりだと思います。

 人面疽の老婆の言葉はアイヌ語だったのです。それが呪いの言葉なのか、それとも普通の会話なのか、近所の子供達には理解する手段もなく、ただ恐れては遠回りして通るだけでした。
 近所の子供の間には、
「膝のデキモノが、ネズミを食べた」
 とか、
「呪いの言葉を、アイヌ語で、しゃべっている」
 と言う噂が流れていました。でも、それが本当なのかどうかは分かりません。まだアイヌ語も知らなかったし、怖しい物をわざわざ見るほどの好奇心も、勇気も持っていなかったので、確かめる訳にもいかなかったのです。

 時々、新しい噂が小学校の中で囁かれていました。
 それは、
「人面疽が呪った人が死んだ」
 とか、
「こんどは、ネコを食べた」
 とか言うものでした。
「子供が食べられた」
 と言う、かなり嘘っぽい噂も流れていました。どの話も、確かめた者もなく、ただの悪気のない無邪気なものでした。子供の噂とはそう言うものです。しかし子供たちの恐怖は尋常なものではありませんでした。口避け女のような、いるのかどうかもわからない化け物ではありません。確実に居場所が特定出来るのです。しかも、毎日の通学路にあるなら、無理をしてでも避けて通ります。

 やがて家が遠くに引っ越して、怖しい人面疽の恐怖からは解放されました。今にして思えば、もったいないことをしたと思っています。もっと、好奇心を持ち、恐怖に打ち勝つ強い心があれば、たぶん本物と思われる人面疽を目にすることが出来たのですから……。

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