播磨陰陽師の独り言・第百六十七話「鳥獣人物戯画」〈前編〉
最近、鳥獣人物戯画にはまっています。ある時、ふと、その意味が分かる瞬間があったからです。もちろん一般に知られた意味ではありません。あくまで、播磨陰陽道に伝わる解釈として意味を理解したのです。
ではまず、鳥獣人物戯画の中で最も有名な、逃げる猿の絵についてお伝えします。
動物なのに登場人物と言うのも何ですが、ここには逃げる猿を追いかける兎と、二匹の蛙が登場します。
猿には麦わら帽子のような奇妙な物が背中に描かれていますねぇ。逃げていて帽子が落ちた感じで、首に紐が引っかかっています。この帽子は何でしょう?
ここで鳥獣人物戯画の基本的な要素をお伝えします。登場する動物にはすべて意味があります。
猿の絵は僧侶を表します。兎の多くは神主で、蛙は陰陽師です。と言うのは、猿は後ろの方の絵で袈裟を着ているからです。
兎は、やはり後ろの方の絵で烏帽子を被っています。法衣を着た兎もいますね。烏帽子を被るのは神主だからです。また、仏壇の前で兎が袈裟を着ているのは、寺と神社が一緒になっていた歴史があるからです。
そして、蛙も烏帽子を被っています。これが神主ではなく陰陽師である理由は、陰陽師が雨乞いをする関係から〈雨乞い虫〉と呼ばれていたからです。この名は雨蛙の別名でもあります。その関係から、しばしば蛙は陰陽師のこととして描かれています。
ちなみに四匹描かれている狐は公家。二匹のイタチは半島からの渡来人。あとは雉が一羽だけ出てきます。これも位の高い人です、
一匹だけ体に木の葉をつけた猿が出てきます。これは漢方を伝えた半島からの渡来人です。漢方も仏法も大陸から半島を通ってもたらされたとされています。
さて、逃げる猿は半島人の僧侶ですが、手に何を持っているのでしょう?
答えは草です。
草を持って逃げるのはなぜなのか?
その答えは、当時の人がこの絵を見て何をどう感じるのかについて考えると分かります。
〈中編〉へ続く。
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