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播磨陰陽師の独り言・第三百四十五話「方言は文化ですから」

 江戸時代の恐怖体験談を元に小説を書いているので、作品ごとに物語の中心となる地方は異なります。地方が違えば、当然、お国に訛りも異なります。しかし、地方の方言をそのまま書いてしまうと、今の人には何だか分からないことが多くなります。現代人にも理解出来るように書く工夫がいります。そのことからも、特徴をつかんで方言を散りばめた台詞を書いています。
 たとえば、水戸黄門が上方《かみがた》へ行っても、ドラマでは標準語な台詞を話します。これは奇妙に感じます。ずっと標準語で話す人ばかり登場するなら、地方へ行く必要はないのです。地方の特色は方言と食べ物と景色だと思います、ドラマでは景色は描かれません。どこを設定しても同じような景色を称して、九州だとか、東北だと字幕がつきます。ロケなので同じような場所で雰囲気を変えるしかないのは分かりますが、それにしても地方色が出ていません。
 ある大河ドラマで、制作スタッフが、
「源平時代の瀬戸内海の、どんよりとした海の色を出したい」
 と言っていましたが、それは今の瀬戸内海のこと。平安時代はおろか、戦後まもなくですら、瀬戸内海は海底が見えるほどに透明度の高い海でした。これも時代と地方色が出ていない例だと思います。
 地方の食べ物もほとんど描写されることはなく、さらに方言すら描いていなかったとしたら、どこの国へ行っても同じことになります。
 さて、関西の人は気にしませんが、関東の人たちは、方言を話すこと自体を気にするようです。
 なぜ、気にするんでしょうかねぇ?
 気にすると言うより、気に病む感じもしています。
 方言は、それ自体、文化だと思います。方言を話すことで培われる人間性を含めて、文化そのものだと思うのです。
 わが家の本箱には、江戸時代の方言を集めた辞典が何冊か入っています。もちろん、現代の方言辞典も持っています。今でも使われている方言も乗っていて、何だか不思議な気がします。小説を書く時に参考にしています。とても便利です。
 江戸時代の方言は、今の方言とは違い、さらに歌のような美しい言葉使いに感じます。地方の特色が出過ぎて、なかなか分からないこともありますが、それでも雰囲気があって良い言葉だと思います。昔の言葉に慣れて来ると、標準語が妙なリズムに感じます。でも、ドラマやアニメなどで無理矢理に方言を使う妙な言葉使いに出会うと、その作品自体を見なくなりますが……。

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