播磨陰陽師の独り言・第410「はじめてのファミコン」〈後〉
サスケvsコマンダーは、当時としても昔のゲームでした。モノクロから、やっとカラーになった頃のゲームです。ただでさえゲーム開発はたいへんです。指定された短い開発期間の中で、
——別なゲームを隠しコマンドで起動出来るようにする。
と言うのですから、尋常ではない作業量です。正気だとは思えません。メインのプログラムですら時間が足りないと思っていたら、何と無事に締め切りまでに完成することが出来ました。しかし、苦労したのは言うまでもありません。プログラマのK氏は、プログラムの頭に16進コードで、
——ニンテンドーノバカ。
と書き込んで、うさ晴らしをしていました。ここは適当なコードを書いて、正常に動くかどうかをチェックするところです。
デザインのスタッフも仲の良かった人を集めました。残された絵のデータは良いものとは言えませんでした。だから、すべてを作り直しました。問題になったのは、コンピュータ上で描いている通りに出力出来ないと言う部分でした。
ファミコンは家庭用のテレビにつなぎます。その頃はまだ、最近は見ることの稀な普通のブラウン管が主流でした。と言うことは、コンピュータ上のハッキリしたドットとは違う見え方をするのです。安物のカラーテレビを買って来て、絵を描くたびにテレビに写してチェックしました。
デザインのスタッフは大したもので、やっている内に予測しながら描けるようになりました。コンピュータ上ではそんな風には見えませんが、テレビに映るとしっかり見えたのです。
このゲーム、元々は私が業務用として開発した『TANK』を移植したものです。オリジナルも作っていたので、大胆に新しい要素を加えました。と言うのは、いくつかのコースを作り、無線連絡でストーリーが変わるように変更したのです。国内よりもアメリカで受け、かなり高い評価を受けることが出来ました。アメリカでの評価は雑誌に載って、国内でも評判になりました。
前作、『怒IKARI』の移植版は酷い作品でしたので、ようやく良いものを販売することが出来ました。ちなみに前作は私の開発ではありません。広報の人が担当になって、
——見本があるのだから、その通りに作れば売れるだろう。
的な開発でした。広告費ばかりかけて、本当に適当な作りでしたので、怒っていました。仕事をいったい何だと思っていたのでしょう。その人は、やがて会社に居づらくなり、逃げるように退職しましたが……。
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